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Chapter 167

試験が近いのに、勉強に身が入らない。

机の前に座っているだけになっていて、バイトで帰って来ない仙台さんのことばかり考えてしまう。


時計を見ると、夕飯を食べるような時間はとっくに過ぎている。

私は部屋を出て、共用スペースへ行く。


それほどお腹は空いていないけれどシチューを作ることにして、包丁とまな板を出す。人参、じゃがいも、たまねぎを用意して皮を剥く。


去年だったら、わざわざ自分でシチューを作るよりもレトルトを選んだだろうけれど、今は違う。仙台さんと暮らすようになって簡単な料理なら作ってもいいと思うようになったし、余計なことを考えているよりは料理をしている方がマシだと思う。


シチューなら、材料を切って炒めてルウを入れるだけで済む。

味付けは考えなくていいから、美味しくないものができあがる確率は低い。


まな板の上、野菜を一口大に切っていく。

一人でいることには慣れているけれど、一人でいてもつまらないし、バイトがある日は仙台さんが帰ってきてからもつまらない。見たこともない生徒の話をよくするから面白くない。


大体、いつもいるのにときどきいない日があると調子が狂う。仙台さんが早く帰って来ないから、私は野菜を切るなんていう単純作業が危うくなって指を切りそうになっている。

じゃがいもを切る手を止める。


もし、このままじゃがいもではなく指を切ってしまったら。

血が止まらなくなるほど深く指を切ってしまったら。


――仙台さんはどうするだろう。


私はため息を一つつく。

指に傷を作った程度で仙台さんがバイトを辞めるわけがない。仙台さんがどこでなにをしていても私には関係のないことだとわかっているけれど、舞香が遊びに来てから仙台さんに干渉したいと今まで以上に思うようになっている。


「レトルトにしとけば良かった」


余計なことを考えたくなくて料理をしているのに、余計なことばかり考えている。でも、今さらレトルトに切り替えるわけにもいかなくて、残りの野菜と鶏肉を切って炒める。


水を入れて煮込みながら、ぼんやりと灰汁を取る。

火を止めてルウを割り入れ、また火をつけて焦げないようにかき混ぜる。

牛乳を入れたところで、仙台さんが帰ってきた。


「ただいま」


鍋の前に立ったまま「おかえり」と返すと、仙台さんがクンクンと犬みたいに鼻を鳴らしながら近づいてくる。


「宮城からいい匂いがする」

「私じゃなくて鍋から」

「シチュー作ったの?」


仙台さんが私の隣に立つ。

それはキスができるくらいの距離で、思わず彼女の顔を見る。


こういうとき、キスをしてくるのは仙台さんだ。でも、私からしてもいいはずで、今ならほんの少し近づくだけでキスすることができる。


どちらからするとか、こういうときにするとか。


そういうルールを決めた覚えはないから、私から理由もなくキスをしてもいい。


「宮城?」


仙台さんに名前を呼ばれて、視線を彼女の顔からシチューへ移す。


よく考えなくても、理由もないのにキスなんてしたらなにか言われそうだし、理由もなくキスをしたいわけじゃない。なんとなくそういう距離だと思っただけで、別にキスなんてしなくてもいい。

舞香が遊びに来てから少しおかしくなっているだけだ。


「こんなに近づかなくても、シチュー作ってるって匂いでわかるでしょ」


私は仙台さんのお腹を押す。


「私の分もあるのかなって」


二歩分くらい離れて仙台さんが言う。


「一人分だけシチュー作ったりしない」

「そっか。もうできあがる?」


明るい声に「できる」と答える。


「これ、置いてくるから待ってて」


仙台さんが私に鞄を見せて、自分の部屋へ行く。

私は火を止めてお皿を二つ出し、ご飯をよそってシチューをかける。すぐに仙台さんが戻ってきて、シチューとスプーンをテーブルに運んでくれる。


「いただきます」


私と仙台さんの声が重なって、シチューを一口食べる。

材料もルウも同じものを使っているのに、仙台さんが作るものほど美味しくない。お腹に入ればどんなものも一緒だけれど、どうせ食べるなら美味しい方がいいと思う。


「宮城、料理上手になったよね。美味しい」


仙台さんの声が響く。


「……ありがと」


一応、お礼を言う。

でも、仙台さんはなにを食べても美味しいと言う。


彼女は美味しくなくても美味しいと言うはずだし、きっと失敗したものでも全部食べてくれる。仙台さんのそういうところは嫌いではないけれど、本当のことを聞きたいと思う。

どんなときでも本心を話せとは言わないが、誤魔化されたくないことだってある。


――たとえば、舞香が来た日のこととか。


二人で話していたことがなにかは聞いたけれど、それとは別に気になっていることがある。


あの日、舞香がした好きな人がいるのかという問いに、仙台さんは答えを出さなかった。彼女だけ答えなかったせいで、頭に残っている。普段、仙台さんと話すようなことではないから、あれから答えを聞く機会はないままだ。


追求するようなことではないけれど、仙台さんだけ答えないのはずるい。私だって答えたのだから、今からでも答えるべきだ。でも、答えなかったということは誰か好きな人がいるのかもしれないと思う。


「仙台さん」


彼女が誰を好きでもかまわないが、バイトのような私より優先すべきものはこれ以上いらない。ただ、私がいらなくても仙台さんが必要だと思うなら、どうにもならないことも理解している。けれど、そういう人がいるのなら、それがどんな人かくらいは把握したいと思う。


「なに?」


仙台さんがシチューを飲み込んで私を見る。

好きな人の話なんて誰でもすることで、舞香とだってするし、亜美とだってする。それくらい誰とでもできる簡単な話のはずなのに、酷く難しい話をするときのように言葉が喉に引っかかったままでてこない。


「シチュー、今度は仙台さんが作ってよ」


考えていたことと違う言葉が口から出る。


「いいよ」


仙台さんが軽い声で言う。

別に今、聞かなきゃいけないことじゃない。

私たちが普段しないような話を舞香がしたせいで、おかしなことになっているだけだ。

私は仙台さんには聞こえないように小さくため息をついた。


Translation Sources

Original