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Chapter 208

服を脱いで、脱衣所の鏡に体を映す。

昨日と今朝も思ったけれど、本当に酷い。


鏡の中の私には、宮城が残した印が数え切れないくらいついている。跡は服で隠れる場所にしかついていないから、誰かに見られる可能性は限りなく低いけれど、事故や病気で病院へ行くようなことがあったら、と思うとため息がでる。


本当は、さっきの宮城を止めるべきだった。


印を確かめると言われたとき。

ちゃんと服をめくれと言われたとき。

押し倒されたとき。


宮城を止めるチャンスは何度もあった。でも、私は止めることができずに体に新しい跡を増やすことを許した。


鎖骨の下、昨日つけられた跡を撫でる。


宮城は、私がどんなことを言われてもいうことをきくと知っている。

だから、こんなにも跡をつけられる。


一つ、二つ、三つ。

鏡の中、宮城がつけた跡を私の指先が辿る。無数の跡のいくつかに触れただけで、ここにはいない宮城を感じて体の奥が熱くなる。今日、数を増やした跡が、宮城を求める気持ちを強くする。


全部私のものだから。


昨日、宮城に変なことを言われたせいで、つけられた跡に体が変に反応してしまう。


さっき、バイトにも大学にも行かないと言えば良かった。


そんなことが頭に浮かんで、目をぎゅっと閉じる。


結局、あれ以上宮城に触れることはできなかった。

それは正しいことで、宮城もそれを望んでいたと思う。

私は間違ったことをしていない。

それなのに後悔している。


目をゆっくりと開けて、宮城に噛みつかれた唇に触れる。

指先に血はつかないけれど、まだ痛い。


宮城は馬鹿だ。

見えないようにキスマークをつけても、唇に目立つ傷をつけたら意味がない。


それでも傷はわかりやすくていいと思う。


痛くて、血がでて、これは傷だとすぐにわかって、治さなければいけないものだとわかる。でも、体につけられた跡は違う。鏡に映る血に似た赤は、傷に似ているのに傷ではなく、怪我とも思えない。宮城がつけたというだけでただの内出血だったものが私にとって特別なものになり、体に馴染んで、宮城を染みこませていく。


消えても、きっと、ずっと私の中に残って、次の跡をほしいと思わせる。


宮城がつけた跡はそういう跡で、私はそれを傷のように治したいとは思わない。それどころか、もっと跡をつけてほしいし、見えるところにもつけてほしいと思っている。今日のように跡を増やされ続けたら困ると思っているのに、それ以上に新しい跡をほしがっている。


宮城がつけた跡のせいで、理性に従おうとしている私と、理性から逃げだそうとしている私が分離しそうで胸が痛い。

心の中に閉じ込めておかなければいけない私が、大学もバイトも投げ出して、宮城の側にいることを選びたがっている。


「こんなの、どうかしてる」


小さく呟いて、バスルームに入る。

シャワーからぬるめのお湯をだして、体についた跡を洗い流すようにお湯をかけ、消えるわけがないのに強く跡を擦る。


こういう印をつけられるのは嫌ではないし、宮城に体を見られるのも嫌ではない。でも、こんなことが続いたら、近いうちに分離しようとする自分を止めることができなくなる。


不可能を可能に変える力が自分にあったらいいのにと思う。


私は宮城の望みをできる限り叶えたいと思っているけれど、今日聞いた希望を叶えることはできない。本人もわかってはいるだろうが、「バイトにも大学にも行かないでここにいて」なんて非現実的な望みだ。


二日や三日なら私の時間を宮城に全部あげることができるけれど、ずっとあげ続けることはできない。大学を休み続ければ家からの援助が打ち切られることになるだろうし、そうなれば今の暮らしを維持するために働かなければいけなくなる。生活することを目的に働き出したら、今以上に家にいることができなくなる。


宮城のいうことをきいて、それで彼女が喜ぶならそうしたい。

私の意思なんて関係ない。


そう思っているけれど、不可能を可能に変える力はない。


気持ちだけなら、いくらでもあげることができるのに。


私の中には、宮城がいらないと言いそうなくらい宮城への気持ちが詰まっている。いつの間にこんなに大きくなったのかはわからないけれど、膨らんだ気持ちは、現状を維持したいと思っているはずの私の中から外へ出たがっている。でも、好きだと伝えることはできない。


私はシャワーのお湯を強くする。

体温と同じくらいぬるいお湯がいくつもの跡を濡らし、排水溝へと流れていく。中途半端に体を温めるものが宮城の熱だったらいいのにと思わずにはいられなくて、シャワーを止める。


まだルームメイトでいて。


言うべきではないと思っていた気持ちは、宮城の言葉が呪いとなり、より強く私の口を塞いでいる。

そして、深くなりすぎた宮城への想いは、ルームメイトという鎖がなくても私の中でなにがあっても口にしてはいけないものになりつつある。


それは、好きだと言ってしまったら、ルームメイトという関係だけではなく、宮城も壊してしまいそうで怖いからだ。


最近の宮城はお喋りで、私のことを好きだとしか思えないことをよく言う。驚くくらい気持ちを言葉にしてくれるから、好きだと想うことを許されたような気がして宮城に近づく。でも、彼女はすぐに離れてしまって、私の手の中には宮城の欠片しか残らない。


近づいたと思ってもそれは一瞬で、次に見たときには宮城が違う場所にいるような気がする。一緒にご飯を食べていても、同じ部屋にいても、隣にいて体温を感じることができても、同じ場所にはいない。


宮城の欠片だけがあちらこちらに落ちていて、私はそれを拾い集めている。


このまま宮城に近づき続けて、気持ちを伝えることがあったら、宮城がボロボロに崩れて、私の前から消えてしまいそうで怖い。それなのに私は宮城に今よりももっと近づきたくて、好きだと告げたくなっている。


私はシャワーからお湯を出す。

髪も体も洗って、バスルームを後にする。


パジャマ代わりのスウェットに着替えて髪を乾かし、共用スペースでオレンジジュースを飲む。あっという間にグラスが空になって、私は宮城の部屋のドアを見た。


今日は、声をかけずに自分の部屋に戻った方がいいと思う。

そう思うのに、手はドアをノックしている。


「なに?」


三回叩いたドアが少し開き、宮城が顔を出す。


「バスルーム空いたから」


そう言うと「うん」と言う声とともにドアが閉まりかけて、「宮城」と呼ぶ。


「まだなにかあるの?」

「今度、一緒にお風呂に入ろうか?」


本気ではないけれど、本当になってほしいことを口にする。


「やだ。入らない」

「言うと思った」


短く答えると、宮城がまたドアを閉めようとして、私は彼女の手を掴んだ。


素直に部屋へ戻るべきだ。


そう思っているけれど、宮城の手を放せない。人に合わせることが得意だったはずなのに、宮城には上手く合わせることができない。ずっとできていたことが、彼女の前でだけできなくなる。


「仙台さん」


宮城の小さな声が鼓膜を震わせる。


「なに?」

「……さっきしたみたいなこと仙台さんにするのって、私だけ?」


赤い跡をつけること。

キスマークをつけること。

宮城だけの印をつけること。


なんでもいいけれど、“さっきしたみたいなこと”がそういうことを指しているとすぐにわかる。


「宮城以外にあんなことさせるわけないじゃん」

「ならいい」


聞こえてきた“いい”がわからない。

“良かった”の“いい”なのか、“もういい”の“いい”なのか、それとももっと違う“いい”なのか。

わからないままパタンとドアが閉まった。


Translation Sources

Original