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Chapter 212

カシャリ。

電子音が一回鳴って、舞香がスマホを見ながらわざとらしく難しい顔をする。


「志緒理、表情硬い。もっとにっこりして、にっこり」

「にっこりしてるつもりだけど」

「じゃあ、今の倍くらいにっこりで。もう一枚撮るよ」


無理だ。

少しくらい硬くてもなんとか誰に見せてもいい顔を作ったのだから、それで許してほしいと思う。


仙台さんの隣にいる私の口角は、私の意志に従わない。上手く笑えないし、なんでもない顔も上手くできない。舞香が納得する笑顔を作れるならもう作っている。


「志緒理ー」


催促するような声が響いて、私は脳に笑えと命じる。でも、口角は中途半端に上がるだけで、舞香のスマホはカシャリという音を鳴らしてくれない。


この世界から“にっこり”という言葉を追放したくなってくる。追放できないなら“にっこり”の意味を変えたい。今日だけ微妙な顔とか、硬い表情をにっこりという言葉の意味にしてほしい。


はあ。


心の中でため息をついて口角との格闘を再開すると、仙台さんが明るい声で「宇都宮」と言った。


「たぶん、今の宮城ににっこりは無理だと思うよ」


仙台さんが私の心の中を覗いたみたいなことを言いだして、思わず彼女を見る。


「え、志緒理どうかしたの?」

「宮城のお腹、グーグーうるさい。お腹減って死にそうってめちゃくちゃアピールしてきてる」


ふざけたような声とともに、隣から手が伸びてきて私のお腹をぽんと叩く。


「鳴ってない」

「鳴ってるって」

「鳴ってないって」


仙台さんに捕まったままの腕を取り戻して、鳴ってもいないお腹が鳴ったと言う彼女の腕を押すと「危ないから」と返ってくる。ついでにくすくすと小さな笑い声が聞こえてきて、今度は仙台さんの腕を引っ張ると「またお腹が鳴った」と事実とは異なることを言われる。


やけに仙台さんが楽しそうでむかつく。


「仙台さん」


続く言葉は考えていなかったけれど、文句を言いかけたところでカシャリと聞こえて私は舞香を見た。


「いい写真撮れたし、にっこりは後からにしてあげる」


満足そうな声が聞こえてくるけれど、絶対に変な写真だと思う。

その証拠に、舞香はにやにやしながら写真を見ている。


仙台さんの隣にいても、舞香くらい口角が動けばいいのに。


にやにやしたいわけではないが、仙台さんが隣にいても笑顔の一つくらい作れるようにならないと、こういうときに困る。仙台さんと舞香が今後一切関わらないならいいけれど、二人は友だちになってしまっているからこの先もこういうことが起こるに違いない。


「舞香、写真見せて」


口角を思い通りに動かすことを諦めて舞香に近づくと、仙台さんも「私も見たい」と言ってついてくる。


「面白い写真だから見て」

「いい写真じゃなくて、面白い写真なんじゃん」


文句を言いながらスマホを見せてもらうと、不機嫌な顔をして仙台さんの腕を引っ張っている私が写っていた。


「いい写真だって。仙台さん笑ってるし、って、あれ? 仙台さんって」


舞香が怪訝な顔をしてスマホから顔を上げる。


「私がどうかした?」

「耳。仙台さんって、前からピアスしてたっけ?」


舞香が仙台さんの耳をじっと見ながら言う。


「前からしてるよ。この前、二人でバイト先に来たときにもしてたじゃん」

「そうだっけ。制服見てたからかな、気がつかなかった。いつ開けたの?」

「一ヶ月以上前かな」

「それって、ピアッサーについてたピアスだよね? 変えないの?」


舞香の言葉に反応するように、仙台さんが耳に指をやる。そして、私がつけたピアスをそっと撫でる。

私の視線は彼女の指に張り付き、剥がれない。

指先は耳たぶを引っ張り、仙台さんが口を開いた。


「変えようとは思ってるんだけど……。初めてしたピアスだし、思い入れがあるっていうか勿体ない感じがして」


仙台さんのピアスは、私の誕生日に私が彼女につけてからずっとそこにある。約束を彼女の体に留め、私に見える形で仙台さんを飾り続けている。


日によって洋服を変えるように、ピアスを変えてもいいのに仙台さんは変えない。一ヶ月が経った今も、誕生日に私がつけたピアスをし続けている。


「意外。仙台さんって、こういうの一ヶ月待たないでぱっと変えちゃいそうなのに」

「自分でも意外」


仙台さんが舞香に笑いかけ、私に微笑む。


二人が発した意外という言葉。

それは私の中にもある言葉だ。


私はピアスを違うものにしてはいけないと言ってはいないし、私が仙台さんからもらったピアスをしているように、違うものに変えたければ変えればいいと思う。

私が知らないうちに変えたりしなければ、私が知らない誰かに選ばせたりしなければ、いつでも変えればいい。


「まあ、なにか可愛いピアス見つけたら変えるかも。それより、ご飯食べない? 宮城がお腹空きすぎて死にそうな顔してるし、写真の続きは食べてるときにってことにしてさ」

「いいね。そうしよう」


舞香が仙台さんの言葉に同意して、私も「うん」と頷く。


「じゃあ、なに食べようか。宇都宮は食べたいものある?」

「お好み焼き」

「宮城は?」

「焼きそば。仙台さんは?」

「んー、そうだな。お好み焼きと焼きそば、みんなで分けて食べない?」

「あ、それいい!」


舞香が弾んだ声で答え、私たちは模擬店でお好み焼きと焼きそば、それにジュースも一緒に買ってきて三人並んでベンチに座る。そして、お好み焼きと焼きそばを均等に分けてお昼ご飯を食べる。


「そう言えば、仙台さんの大学も今、学園祭やってるよね?」


お好み焼きを半分ほど食べた舞香が仙台さんを見る。


「明日までね。来るなら案内するけど」

「明日は用事ある。来年、志緒理と一緒に行ってもいい?」


話の中に断りもなく私が混ぜ込まれ、行きたいなんて言っていないと否定する前に仙台さんがにこやかに答えた。


「もちろん。案内するし、来年はうちの大学来てよ」

「やった」

「宮城。人ごとみたいな顔してるけど、宮城も来年一緒に来るんだからね」


行かない。

そう答えたいけれど、答えることができない。

きっと行かないと言えば、舞香が一人で行くことになるはずで、私には答えが一つしか残されていない。


「わかってる。一緒に行く」


舞香が一人で仙台さんの大学に行くのは嫌だ。

だから、気が進まなくても一緒に行くしかない。


「じゃあ、決まり」


仙台さんがにこやかに言って、焼きそばを口に運ぶ。

私たちはたわいもない話をしながらお好み焼きと焼きそばを食べ続け、その大半が胃の中に収まった頃に舞香が思い出したように言った。


「あ、写真」

「宮城、カメラマンね」


ぽん、と肩を叩かれて、機械のようにぎこちなく鞄からスマホを出して立ち上がる。一歩、二歩とベンチから離れ、程よい距離を取って振り返ると、仙台さんが舞香の隣に座っていた。


スマホを構える。

仙台さんが舞香に体を寄せる。

画面に仲の良さそうな二人が映り、シャッター音の代わりに私の心臓がどくんと鳴って、小さく息を吐く。


学園祭の風景を切り取った小さな画面に映る仙台さんは、高校の頃によく見た顔で笑っている。

綺麗に作られた笑顔は、私のものではなくて舞香のものだ。

隣ではもちろん、舞香も笑顔を作っている。


そこは私の場所だと思う。

いつもそこには私がいて、そこにいることが当たり前で、そこには私以外がいなかった。外にいる仙台さんのことはよく知らないけれど、二人で出かければ彼女の隣に私以外がいることはない。


それなのに今日は、私がいるべき場所に舞香がいて、それを私が撮る。


つまらない。

面白くない。

でも、撮らなければならない。


「志緒理、撮って」


舞香の声が聞こえて、指が自分のものではないみたいに撮影ボタンをタップする。


カシャリ。


今日、何度も聞いた音が一回鳴って、画面に映し出された二人が写真として私のスマホに記録される。


「撮ったよ」


ほら、と二人に向かって歩いて、スマホを見せる。

仙台さんと舞香が楽しそうになにかを言うけれど、耳に入らない。スマホに視線が固定されて、見たくないのにさっきの二人を見続けている。


画面の中の笑顔は、私の歪だったであろうにっこりよりも綺麗だ。


軽いはずのスマホが重い。

投げて捨ててしまいたくなるほど重い。

私はベンチに座って、スマホを鞄にしまう。


撮影ボタンを押した指を反対の手でぎゅっと押す。


かさぶたを無理やり剥がし、静かに自分を傷つけたときに似た痛みを感じる。ジクジク、ジンジンと痛い。小さな傷なのに血が滲んで、知らぬ間にあちらこちらに血がついているような不快感が広がっていく。


今すぐ仙台さんの体に跡をつけて、赤い印を増やしたい。

それが駄目なら彼女の首に触れ、赤い跡を舞香に見せてしまいたい。


「そろそろトークショーの会場に行こうか」


仙台さんの声が聞こえて、うつむきかけていた顔を上げる。

赤い跡があるはずの彼女の首が目に入り、手を伸ばしかけて誤魔化すように立ち上がる。


仙台さんの首の赤い跡。


私がつけたと思うはずはないけれど、舞香に見せるわけにはいかない。あの印は私と仙台さんだけがあると知っているもので、二人だけの秘密だ。


「志緒理、会場って第二校舎だよね?」


舞香の声が聞こえてくる。

赤い印を覆っているものをほんの少しずらせば、舞香に見せることができる。

舞香にこれは私がつけたものだと言って、仙台さんは私のものだと言うことだってできる。


――駄目だ。


仙台さんのことばかり考えていたら、おかしくなる。

今日は楽しいことがたくさんある日なのだから、隣ではなくもっと他へ目を向けた方がいい。


「うん」


私はなるべく明るい声をだして、二人と一緒に歩き始めた。


Translation Sources

Original