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Chapter 257

春休みはもっとゆっくりするつもりだった。


年末はクリスマスがあったし、年始は仙台さんに付き合わされてそれなりに規則正しい生活を強いられた。ほかにも仙台さんのバイト先へ行ったり、動物園に行ったりしたから、冬休みはそれなりに忙しかった。


だから、春休みはのんびり過ごすつもりだったのに、トリュフ作りに強制参加させられた。ホワイトデーにもなにかさせられそうになっている。小松さんにも会わなければならない。


けれど、今は終わったことや、まだ先の予定に頭を悩ませている場合ではなくなっている。

私はベッドに寝転がったまま、黒猫の頭を撫でる。


明日はどこにも行きたくない。


バレンタインデーから一週間と少しが経って、私は学校へ行きたくない子どものような気持ちになっている。こんな気分になるのは、すべて仙台さんのせいだ。


「おかしいじゃん」


私は明日の予定を埋めていいなんて言っていないのに、彼女が勝手に埋めた。

私と仙台さん、そして舞香の三人で出かけることになっている。目的はもちろん、舞香の洋服選びだ。明日はそういう予定で埋まっている。


それは決定事項で覆らない。


絶対に嫌だと言えば覆ることもあるだろうけれど、舞香に理由を問われたときに誤魔化せるような理由がない。仙台さんが勝手に決めた予定だが、拒否権はないも同然だ。


夕飯の後、お風呂に入るという仙台さんがついでのように明日の予定だと言って告げてきたけれど、こんなのは不意打ち過ぎる。


舞香は仙台さんに洋服を選んでほしいと言っていたし、三人で出かけることになっていたから、予定を組まなければと思っていた。でも、舞香は私の友だちなのだから、私が舞香と話して、出かける日を決めるべきで、仙台さんが舞香と二人で決めるものじゃない。勝手に話が進められていたせいで、気が乗らない。


私は黒猫を天井に向かって放り投げてキャッチする。


こういうことは、心の準備が必要で、慌てて決めるようなことじゃない。仙台さんは早く予定を決めてしまうほど楽しみにしているみたいだけれど、私は違う。


「そんなに舞香と出かけたいなら、舞香と二人で――」


駄目だ。

仙台さんと舞香を二人だけで行かせるわけにはいかない。

三人で、という約束なのだから三人一緒に出かけるべきだ。

私はため息を一つつく。


舞香と私の二人だけならいいのに。


明日、舞香と出かけるのはいいけれど、そこに仙台さんを加えたくない。舞香と遊びに行くのは私だけでいい。明日以外だってそうだ。ずっと、ずっと、嫌になるくらいずっとそう思っている。


ようするに、私は仙台さんを舞香に会わせたくない。

仙台さんが勝手に舞香と二人で話すのも許せない。


小松さんだって、能登さんだって、同じだ。

仙台さんと会ってほしくないし、話してほしくない。


私はこの感情の名前を知っている。


気がつきたくなかったのに学園祭で気がついてしまったそれは、仙台さんに他人が関わると顔を出す。学園祭が終わってからもたびたび顔を出して、私を嫌な私にさせる。


独占欲なんていらなかった。


それは気づかずにいたかったもう一つの感情に繋がっている。


――嫉妬。


そういうつまらないものを心の奥から引きずり出す。


私は黒猫を天井に向かって放り投げて、黒い塊を目で追う。

両手でキャッチしてから、体を起こして黒いぬいぐるみを枕元に置く。そして、ベッドを椅子代わりにして、スマホを手に取り、学園祭の写真を表示させた。


仙台さんと私。

仙台さんと舞香。

たくさんの仙台さんがいる。


記念日にラベルを貼って整理するように、彼女は気がつきたくなかった感情にラベルを貼っていく。しなくてもいいのに丁寧にほかの気持ちとは分けて、分類して、名前をつけて、ラベルに大きく書いていく。書かれた文字は消えない。ラベルは私の内側に張り付いて剥がれない。見ないようにしていたのに知らないうちに増えていて、私の内側はラベルだらけになっていた。


本当にむかつく。


でも、ラベルを目立たないようにする方法はある。

仙台さんが私に繋がれていてくれたらそれでいい。


約束、結束、拘束。

繋ぐ方法はどんなものでもいい。

強い方法であればあるほど効果的だ。


たとえば、首輪で繋いでこの部屋に――。


私は大きく息を吐く。

仙台さんは私のものなのだから、もう繋ぎ止められている。


青いピアスは私のものだという印だし、それだけでは足りないなら赤い印を彼女の体につけることができる。舞香のものになることはない。


だから、大丈夫。


私は仙台さんが開けた穴についているピアスを撫でる。指先で小さな花を押し、耳たぶを引っ張ると、トントン、とドアを叩く音が聞こえた。


「宮城、ちょっといい?」


仙台さんの声が聞こえて、スマホの画面を変えてから黒猫を掴む。


「今、開けるから待って」


私は黒猫を本棚に置いてから、ドアを開けた。


「仙台さん、なに?」

「ちょっと聞きたいことあってさ、入ってもいい?」

「……いいけど」


あまり良くはないけれど、とりあえず仙台さんを部屋に入れ、床へ座ってベッドを背もたれにする。でも、彼女は本棚の前に立ったままで隣に来ない。


「なにやってるの?」

「黒猫が転んでたから、座らせておいた。これ、名前あるの?」

「ない」


私は名前のない黒猫をちゃんと本棚に戻したのか思い出そうとするけれど、できない。いつものように置いた気もするし、置いていなかった気もする。


「つけないの?」

「つけない。仙台さんの聞きたいことって、それなの?」

「違うけど。名前、私がつけてあげよっか?」

「やだ。仙台さんにまかせたら、くろちゃんとかそういうそのままの名前つけそうだもん」

「……ろろちゃんとかどう? 可愛くない?」

「言いにくい。そんなことより、聞きたいことってなんなの?」

「髪、触ってもいいか聞こうと思って」


そう言うと、仙台さんがベッドに座って、私の髪を軽く引っ張った。


「今?」


仙台さんの手をぺしんと叩いて、問いかける。


「明日。出かける前に三つ編み作ってメイクしたいんだけど」

「絶対にやだ」

「言うと思った。ほんと宮城ってケチだよね」


さして残念そうでもない声とともに、頭のてっぺんから少し外れた辺りの髪をまた引っ張られる。


「この辺の髪で耳の下辺りまで三つ編み作るくらいいいでしょ。こっち側だけにしか三つ編みしないからすぐ終わるし」

「やだって言ってるじゃん」


余計なことはしなくていい。そんな相談よりも、話すなら別のことを話したいと思う。


「……なんで明日にしたの?」


長袖のTシャツにカーディガンを羽織っている仙台さんを見る。彼女はお風呂から出たばかりらしく、長い髪は結んでいないし、メイクもしていない。こういうラフな仙台さんを見ることができるのは、たぶん、私だけだ。


「なんでって、先延ばしにしても仕方ないでしょ。宇都宮だって早く服買いたいだろうし。それに宮城、いつまでたっても決めないから。来月は澪が遊びに来るし、早めに予定決めちゃった方がいいでしょ」

「そうだけど……」

「もしかして都合悪かった? 宮城、予定ないって言ってたから明日にしたんだけど」


確かに予定はないと言ってあったが、それは舞香と出かける予定を入れるために空けていたわけじゃない。でも、今さら文句を言っても仕方がないこともわかっているから、私が口にできることは一つしかなかった。


「悪くない」

「じゃあ、いいでしょ。で、さっきの話の続きだけど、髪もメイクも嫌なら服選ばせてよ」

「やだ」

「それなら命令は?」

「すぐそういうこと言う」

「いいじゃん。命令される本人がいいって言ってるんだから、命令の安売りしたって。宮城、交換条件したくない? 命令と私がしたいこと交換しようよ」

「したくない」

「命令するの好きでしょ。しなよ」

「命令しろって言われてするの、なんか違う」


仙台さんに命令するのは嫌いじゃないけれど、命令することを強要されたくない。命令しろと言われてする命令なんて、仙台さんに私が従っているようなもので、彼女から命令されているも同然だ。


「だったら、宮城の髪、私に任せてよ。メイクもさせて」


舞香にしないなら。

そういう条件をつけてもいいなら、仙台さんに髪を触らせてあげてもいいし、メイクをさせてあげてもいい。でも、そんなことを言えるわけがない。


「宮城」


仙台さんがベッドから下りて、私の隣に座る。

手を伸ばしてきて、私の髪を撫で、頬を撫でてくる。私と同じシャンプーの香りが鼻腔をくすぐり、仙台さんを強く感じる。


「……少しならいい」


髪もメイクも舞香にはしないと約束させることはできないけれど、少なくとも明日は私だけにしかしないことだ。


「それでいいよ。印はつけなくていい?」

「今はいい」

「じゃあ、私が宮城に印をつけるのは?」

「やだ」


ケチ、と小さな声の後、当然のように私の唇に仙台さんの唇がくっついてくる。けれど、唇が重なったのはほんの一瞬で、すぐに離れてしまう。


彼女がするキスは、ラベルのついた感情を隠してくれる。


だから、仙台さんのカーディガンを引っ張ると、もう一度キスされた。


Translation Sources

Original