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Chapter 266

「志緒理ちゃんの眉間の皺、写真と同じだ」


澪さんが私の顔をじっと見ながら言う。


「写真って?」

「葉月に見せてもらったんけど、その写真でも眉間に皺寄せてた」


仙台さんが澪さんに写真を見せたことがあるのではないかとは思っていた。でも、眉間の皺という言葉から、その写真がろくなものじゃないことが想像できる。


「……仙台さんが見せた写真ってどんな写真?」

「普通の写真だけど」


澪さんに向けたはずの問いかけに仙台さんが答える。


「だったら、仙台さん。その普通の写真見せて」

「可愛い写真だから心配いらないって」


仙台さんが不自然なくらいにっこりと笑う。


「可愛いかどうかはどうでもいい。どんな写真か気になるだけ。澪さんに見せた写真、私にも見せて」


仙台さんには感謝している。

三人でご飯を食べようという澪さんの提案から、一緒にピザを食べることに決まってしまったが、仙台さんのおかげで最悪の事態は免れた。


澪さんが外で食べたがって「今から行かない?」なんて言い出したときは世界の滅亡を祈ってしまったけれど、仙台さんが夕飯には早すぎると言って後からピザを頼むことで押し切ってくれた。


あのまま出かけることになっていたら澪さんは「やっぱり友だちを呼ぼう」なんて言い出しそうだったし、澪さんみたいな人がこれ以上増えるようなことがあったら困る。


だから、仙台さんには感謝しているけれど、それとこれとは別問題だ。


「……見せてもいいけど」

「じゃあ、見せて」


私は斜め前に座っている仙台さんに向かって手を出す。でも、彼女は私を見ているだけでスマホを出そうとしない。


「仙台さん」

「……写真消したりしないよね?」

「気に入らなかったら消す」


断言すると、何故か澪さんが吹き出した。


「志緒理ちゃん、調子出てきたじゃん」

「え?」

「バイト先に来たときは結構喋ってたのに、今日はあんまり喋らないからさ」

「それは……」


あのときは、パーソナルスペースが存在しないかのような彼女のコミュニケーション能力に巻き込まれてしまっただけだ。


「それくらい喋った方がいいよ。面白いしね。あと、また眉間」


楽しそうな声に、私は自分の眉間を触って皺を伸ばす。それを見た澪さんがまた笑うから、また眉間に皺が寄りかけてしまう。


「志緒理ちゃん、葉月に写真見せてもらわなくていいの?」


くすくすと笑いながら、澪さんが仙台さんを指さす。


「そうだ。仙台さん、写真は?」


眉間の皺は諦めて、仙台さんにスマホを出すことを要求する。


「消さないって約束してくれるなら見せるけど」

「見てから決めるから、スマホ」


そう言うと、澪さんの声が飛んでくる。


「気にしなくても大丈夫だって。葉月が言ってる通り、ほんとに可愛い写真だったから。今と同じくらい可愛かった」

「別に可愛くないもん」

「志緒理ちゃん、可愛いって。そのスカートも似合ってるし」


にこりと澪さんが笑って、私がそれを否定する前に仙台さんが口を挟んでくる。


「それ、私が選んだスカート」

「あ、そうなんだ。っていうか、葉月ってさ、志緒理ちゃんといると面白いね」

「面白い? 普通だと思うけど」

「えー、面白いって。今日、めっちゃ人の話に割って入ってくるじゃん。普段そんなことないのにさ。今日、押し強いよね。あと、いつもあんまり慌てたりしないのに、写真の話くらいで慌てたり」

「それは澪が悪いから。……宮城のこと困らせるし」


仙台さんがぼそぼそと言って、恨みがましい目を澪さんに向ける。


「そういうこと言うのも、そういう顔もするのも面白いじゃん。っていうか、珍しいよね。こういう葉月。志緒理ちゃん、葉月って家ではいつもこんな感じ?」


この家で私と一緒にいる仙台さんのことは言いたくないと思う。


本当の、誰も知らない、私だけの仙台さん。


この部屋で澪さんと話している仙台さんは、そういう仙台さんに近いように感じる。

私は澪さんをこれ以上本当の仙台さんに近づけたくない。


「えー、どうだろ。たぶん、もう少し優しい、感じかな」


私は間違ってはいない当たり障りのない言葉を口にする。


「あ、良い評価が出てきた。でも、はっきりしない感じだなー。ほんとは優しいんじゃなくて、我が儘大魔王だったりしない?」

「そんなこと、ないと思う」


私の声に、澪さんが疑っているという顔を作って仙台さんを見る。


「へえー」

「我が儘じゃないから。この話はもう終わり」


ぴしゃりと仙台さんが言って、「澪はこれ食べてて」とポテトチップスの袋を彼女の前に押しやる。


「じゃあ、葉月ママに怒られる前にこの話はもう終わりにしよっかな」


澪さんが楽しそうに言って、ポテトチップスを一枚取って囓った。そして、「面白い葉月をもう少し見たかったけど」と笑う。


それにしても。


面白い仙台さんが見たいなら、わざわざこんなところまで来なくても良かったのではないかと思う。珍しいとは言っても、一緒にいれば面白い仙台さんを見る機会はあるはずだ。私の見えないところで私の知らない仙台さんと一緒にいる澪さんに思うところはあるけれど、私のテリトリーを荒らされるよりはいい。


はあ。


小さく息を吐いて、サイダーを飲む。

炭酸が抜けかけた甘ったるい液体が喉を通り、胃に落ちる。麦茶にしておけば良かったなんて思いながら、もう一口飲んで澪さんを見ると、彼女は仙台さんと話をしながら楽しそうに笑っていた。


私はテーブルの上のグラスを見る。

二人を見ていると、胃が重くなる。


「……こういうの、良くないな」


頭に浮かんだ言葉が口からぽろりとこぼれでて、息を呑む。


でも、小さな声だったから聞こえていないはずだ。


恐る恐るグラスから視線を上げると、澪さんと目が合ってしまう。


「良くないってなにが?」


澪さんが真顔で私を見ている。


仙台さんほどじゃないけれど、綺麗だ。


今さらそんなことに気がつく。

喋っているとざっくばらんで明るい雰囲気があるけれど、黙っていると目や口の配置が人よりも良いことがわかる。美人に分類されるべき人で、黙っていると少し怖い。


「え、あ……。あんまり上手く喋れないから」


正しくはないけれど、間違ってもいない言葉を仕方なく口にすると、澪さんがけらけらと笑い出した。


「大丈夫、大丈夫。上手く喋れてるって。志緒理ちゃんのおかげで変な葉月も見られたしさ。二人とも最高に面白い」


澪さんが明るいというよりは優しい声で言って、サイダーが入っていたグラスを空にする。そして、にこにこと柔らかな笑みで私と仙台さんを見比べてから、言葉を続けた。


「この前会ったときから、志緒理ちゃんって絶対に面白い子だって思ってたんだよね。葉月とどういう感じでルームシェアしてるか気になって遊びに来たけど、ほんと来て良かった。面白い葉月を知ることもできたしね」

「澪。私、オモチャじゃないんだけど」


仙台さんがわざとらしく額を抑えながら、ため息交じりに言う。


「わかってるって。でも、二人ってほんと面白いね。電車乗って来たかいがあった。葉月が叱られてるところなんて普段見られないし」

「叱られてはないでしょ」


仙台さんがさっきよりも真面目な声で反論する。


「写真見せたって、さっき叱られてたじゃん」


澪さんがくすくすと笑う。

こういう彼女を見ていると、良い人だとわかる。でも、良い人であればいいというものでもない。私にとって澪さんが付き合いにくい人間であるということに変わりはない。


おそらく澪さんは、私と同じ人間じゃない。きっと、超人類とかそういうものだと思う。宇宙の果てからやってきたと言われたら信じる。酸素がなくても喋ることができるかもしれない。


私が見たことのないそういう生き物に違いないから、舞香と同じくらい親しくなるのは難しいように思える。


「志緒理ちゃん、さっきみたいに葉月のことよく叱ってるの?」


楽しそうな声が響き、仙台さんがバシンと澪さんを叩く音がそれを追いかける。それでも澪さんはくすくすと笑い続け、「人を叩くのも珍しい」という声とともに立ち上がった。


「これ以上叩かれる前にトイレに逃げよ。場所、どこ?」


仙台さんが立ち上がり、澪さんにトイレの場所を説明する。ふむふむと話を聞いていた澪さんが「いってきまーす」と軽い声を残して、部屋を出て行く。


「宮城、ごめん。騒がしくて」


仙台さんが元いた場所に座って、はあ、と大きく息を吐く。


「別にいいけど。……なんか仙台さんと澪さんって仲良いよね」


そう言って、カモノハシの背中からティッシュを一枚引き抜く。


「友だちだしね」

「ふうん」


ティッシュをくるくると丸めて仙台さんに投げつけると、彼女はそれをキャッチして私に近づいてくる。


「機嫌悪い?」


仙台さんがティッシュの塊を床へ置き、手を掴もうとしてくる。私は仙台さんに捕まる前に、彼女につけた印を服の上から撫でた。


「……もっとつけとけば良かった」

「今からつける?」

「澪さん戻ってくるし、無理じゃん」


したくても、今はそういうことをするときじゃない。

そんなことくらいはわかる。


「だよね」


でも、私の仙台さんと、私と同じ人間とは思えない澪さんが二人で話すところをこれから後も見続けて、一緒に夕飯を食べなければならない。そう思うと、気持ちを落ち着けるなにかが必要になる。


それはなにか。


仙台さんのブラウスのボタンを撫でて、印をつけた部分を強く押す。

彼女の服を脱がせて、体に直接触れたいと思う。

けれど、それは許されない。


「……手、貸して」


仙台さんの腕を撫で、指先を掴む。


「いいよ」


柔らかな声が耳に響く。

私は彼女の手を引っ張って、人差し指を噛む。


第一関節の上を強く、強く。

しっかりと痛みと跡が残るように強く噛む。


仙台さんは痛いとも嫌だとも言わない。

代わりに、噛んでいない方の指で私の髪を梳く。


「仙台さんは私のものだから」


私は歯形が残った指をティッシュで拭いながら告げる。


「わかってる。他の指はいい?」

「いい。……あと、今は大学にいるときみたいにしてて」


私の、私だけの仙台さんに戻ってほしいけれど、それを澪さんに見られたくはない。だから、澪さんが知っているけれど、私が知らない仙台さんを見せてほしい。


「え? どういうこと?」

「わかんないならいい」


私は仙台さんの肩を押してから、ティッシュをゴミ箱に捨てる。そして、彼女から少し離れた場所に座り直して、ポテトチップスを一枚囓り、ごくんと飲み込む。仙台さんも黙ってポテトチップスを食べ始め、私が三枚目に手を伸ばしたところでドアが開いた。


「澪ちゃんがピザを奢りに戻ってきたよ」


明るい声とともに、澪さんが私の向かい側に腰を下ろす。


「澪が奢ってくれるんだ?」

「二人をからかったお詫びにね。三枚でも四枚でも奢るから、好きなの頼んで」


澪さんの声に、仙台さんがピザのちらしを持ってくる。歯形が残っている手ではない方の手でテーブルの上に置き、ピザの話が始まる。


テリヤキがいいだとか、シーフードがいいだとか。


ああでもないこうでもないと話し合った結果のピザは、夕飯には少し早い時間に届いて、あっという間に箱だけになり、デザートのアイスクリームもゴミだけになった。


指を噛んだ効果があったのかどうかはわからない。

ずっとすっきりしない気持ちのままだったけれど、噛まないよりはマシだったのかもしれない。


澪さんがこのまま泊まっていくと言い出したらどうしようなんて考えながら、テーブルの上を片付ける。志緒理ちゃん、と呼ばれて身構える。けれど、彼女は私が思ったようなことは言わなかった。あっさりと「そろそろ帰るね」なんて言って、嵐のようにやってきた澪さんは嵐のように去っていった。


私たちに「また来るね」という不穏な言葉を残して。


「澪さん、ほんとにまた来るの?」


二人きりになった仙台さんの部屋、私はベッドを背もたれにしながら隣を見る。


「来ないと思う?」


思わない、と答える代わりに小さく息を吐くと、仙台さんが彼女にしては珍しく酷く疲れた声で「すぐには来ないと思うから」と付け加えた。


Translation Sources

Original