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Chapter 286

「行くってどこへ?」


つまらなそうな顔をした宮城がぼそりと言う。


ってどこへ、はいらない。


そう思うけれど、行かない、と言われるよりは良い答えで、私はにこりと笑って問いかける。


「どこでもいいよ。宮城は行きたいところない?」


連休は宮城とずっと家にいる。

宇都宮との予定があってもキャンセルさせてずっと二人でこの家にいたいと思っている。でも、宮城が許してくれるなら二人で出かけたいとも思っている。


私の中に相反する思いがずっとあって、その気持ちはそのときどきで大きくどちらかに傾く。でも、私の気持ちがどちらに傾いたとしても、行き着く場所はわかっている。


どうせ彼女はどこにも行ってくれない。

この家で過ごすにしても、素直に二人で過ごしてくれるとも思えない。


宮城はいつだって難しい。

だから、一つ一つ確認していかなければならない。


「行きたいところないし、連休中はどこにも行かなくていい」


ほんの少し私に期待をさせた宮城は、私がほしくなかった言葉を口にして床をトンッと蹴った。


「だったら朝、一緒に外歩こうよ」


どこかへ行く。

その目的地はどこでもいい。“ゴールデンウィーク”という連休中に“宮城と二人でなにかをする”という目的を達することができるなら、近所を散歩するくらいのことでもかまわないと思う。


「それって散歩するってこと?」

「そう。少し早起きしてさ」

「休みの日に早起きしたくないし、散歩とか面倒くさい」

「太ったんでしょ。運動しよう、毎朝」

「絶対やだ」


宮城が断言して、立ち上がろうとする。私は、彼女が共用スペースから逃げ出してしまう前にもう一つの案を投げかける。


「じゃあ、旅行」

「散歩から急に旅行って、話の繋がりおかしいじゃん」

「おかしくないって。温泉行こうよ」

「温泉って、前にも行かないって言った」


どうやら宮城は、私が過去に口にした言葉を覚えているらしい。


私は去年、夏休み中に温泉旅行へ行こうと宮城を誘った。


そういう些細な出来事を記憶に残しておくくらいの興味を宮城が私に持ってくれているということに喜びを感じるけれど、旅行を拒否する宮城は歓迎できない。


「大体、仙台さんお金を貯めたいんでしょ。ゴールデンウィークもバイトするくらいに」


宮城がまた私を喜ばせながら、歓迎できない言葉を口にした。


お金を貯めたい。


それもやっぱり私が過去に言ったことで、そういうことが宮城の記憶に刻まれていることは嬉しい。でも、それを理由に出かけることを否定されたくはないと思う。


「二人のお金使うっていうのは?」


これはあまり良くない提案だとわかっている。


高校生だった私と宮城の間にあった五千円が降り積もって貯まったお金は、この部屋を借りるために一度使って、戻ってきてから使い道が定まっていない。二人のために使うお金として私が保管しているものの、なにに使うべきなのかわからずにいる。二人で細かな買い物に使うことはあっても、大きく動かすことはなかった。


そういう二人のお金を、旅行に行けば今までよりもたくさん使うことになる。そう思うとさすがに迷う。けれど、こういうときくらいしか使い道がないような気もする。


「使わない」


私の迷いを断ち切るように、宮城がきっぱりと言う。


「なんで?」

「……そのお金、やっぱり仙台さんが使えばいいと思うから」

「なんで?」


馬鹿みたいに同じ言葉を繰り返すと、宮城が私をじっと見た。


「バイト代と一緒に貯金したら、仙台さんずっとここに住んでいられるでしょ」


宮城のやけに真面目な声が耳に響く。

普段の宮城なら、そのお金を貯金に回してバイトを辞めろとか言いだしそうなのにそんなことは言わない。ただ黙って私を見続けている。


「……宮城も一緒に住むってこと?」


二人のお金の使い道。

それが、宮城とずっとこの生活を続けるためのものになるのならいいと思う。


「そんなことは言ってない」


迷うことなく答えが返って来る。

宮城はやっぱり私が思うようには動いてくれない。


「それなら、今まで通り二人のお金ってことにしとく」

「仙台さんのお金にして、貯金すればいいじゃん」

「それは今、決めなくてもいいでしょ。今決めるのは連休の予定」


なんでもかんでも保留にしておくことが良いことだとは思わないが、なんでもかんでも答えを出すことが良いことだとも思わない。私と宮城の間はふわふわしていて、確定していない。ルームメイトという言葉でふわふわをまとめて誤魔化しているだけだ。


しっかりとした形のあるものになっていない関係は簡単に崩れそうで、私たちのこの先に関わりそうな話題は曖昧なまま放っておいた方がいいように思える。


「散歩も旅行もダメなら、宮城が一緒に行ってくれるところってどこ?」


それてしまっていた話を元へと戻す。


「ないから、行かなくていい」


素っ気ない答えが返って来る。


「どこにも行かないなら、宮城は連休中なにするつもりなの?」

「家にいる。舞香も朝倉さんもバイトあるし」

「去年と逆だね。去年は私が家にいた。宮城が変なことしたせいで外に行けなかったって言うべきだけど」

「今年は外へ行けないようなことしないから、澪さんと出かければ」


宮城が面白くないことを言う。

バイトがあるから外へ行けないようなことをされるのは困るが、そういうことをしてほしくもあるから、しないと言われるとつまらない。そして、澪と出かければなんてことも言われたくない。


私の連休は宮城のためにある。


バイトも大事で、しなければいけないことだけれど、それも宮城に繋がっている。家族がいる家へ帰らずにいられる場所を得ることは、宮城と一緒に暮らせる可能性にも続いている。


「さっきも言ったけど澪とじゃなくて、宮城と出かけたいんだけど。出かけるのが嫌なら、今年も去年みたいに家でなにかしようよ」

「したいことない」


まあ、そうだよね。


連休は二人でどこかへ行こうという私の誘いを即答で断らなかったことが奇跡で、やだとか、行かないとか、そういう類いのことを言う宮城の方が普通だ。だから、この答えは面白くない答えであっても想定していたもので、これ以上この話をしていても答えが覆ったりはしない。


「じゃあ、連休中どこにも行かなくていいし、なにもしなくていいから、今キスしたい」


私はそう言って立ち上がり、宮城の前へ行く。


「それ、連休と関係ないじゃん」


私の椅子に座っている彼女は不機嫌で、行儀の悪い足が私を蹴ってくる。


こういうことが最近もあった。

それはこの場所で宮城の足を舐めたときで、あの日の彼女も不機嫌だった。でも、あのときほど機嫌が悪くないように見える。


「関係なくてもいいでしょ。なにもしないならキスで」


宮城の頬に触れる。

ぺたりと手のひらをくっつけて顔を寄せると、お腹を押された。


「……ペンギンなら見てもいい」


宮城が私を見ずに小さな声で言う。

それはおそらく水族館か動物園になら行ってもいいという返事で、私は彼女に贈ったプルメリアのピアスに触れた。


「デートの予約ね」


なるべくさりげなく言って、宮城の耳にキスをする。

彼女との間には叶わないことがたくさんあるけれど、これくらいなら許されると思う。でも、宮城はあからさまに嫌そうな顔をした。


「そういうの、好きじゃない」

「そういうのって?」

「普通の約束のこと、デートっていうの。付き合ってる人が言うヤツじゃん」

「デートって恋人同士だけしか使っちゃいけないってわけじゃないし、友だち同士でも言うでしょ。宇都宮だって、それくらい言わない?」

「……言うけど」


納得いかないというような顔でそう言うと、宮城が私の足を踏む。ぐりぐりと。結構な力で踏んで私を睨む。


「じゃあ、いいじゃん」


宮城の足の下敷きになっている自分の足を引き抜いて、微笑む。


「良くない」

「それならデート以外の言葉、宮城が考えてよ」

「考える必要ない」

「まあ、デートじゃなくてもいいけど、ペンギンどうするの?」


私の言葉に、宮城が眉間に皺を寄せる。そして、私の服を引っ張って「もう少しこっちに寄って」と言うからキスをしようとすると、「違う」と強く否定された。


「仙台さん、これ私にくれるって言ったよね?」


青い石ごと耳を引っ張られる。


「言った。宮城のだよ」


私の耳は、宮城の誕生日に彼女にあげた。

だから、宮城は私の耳を自由にしていい。


「私のものに約束するから、約束に変な名前つけないで」


返事をする前に、宮城の唇が私の耳にそっと触れる。

宮城が触れた部分だけではなく、頬も首も彼女が近くてぴりぴりする。体温が近すぎて、彼女が触れているところ以外も熱を持つ。


宮城の肩を掴むと、唇が離れる。

でも、すぐにくっついてきて、耳たぶに歯が食い込んだ。


それなりに強く。


約束が私に刻まれるには十分すぎる力で噛みつかれ、「宮城」と呼ぶともっと力が入れられた。痛い、という言葉を飲み込んで、肩を掴んだ指先にぐっと力を入れる。骨の硬さに柔らかな部分を探して手を滑らせると、耳が解放された。


「ペンギン見に行くのはただの約束だけど、破るのなしだから」


耳元で囁かれる。

返事の代わりに彼女を引き寄せると、また耳に唇がくっついた。


Translation Sources

Original