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Chapter 289

宮城と部屋で映画を見たり、漫画を読んだり。


連休の数日がそういうたいしたことはないけれど、私にとっては大切なことで消費された。


そして、今日。

向かい側には宮城ではなく、花巻桔梗ちゃんがいる。


バイトを休むつもりはないし、バイトをすることに不満はない。

勉強を教える行為は私に向いていると思うし、楽しいと思う。

でも、家に帰りたくもある。


宮城が私の機嫌を取るような行動をしたから。


たぶん、違うだろうとは思っている。宮城が私の機嫌を取ったりしないなんてことはわかっているけれど、そう思えるような行動を取ってくれたことで、私はバイト中にもかかわらず宮城がいるたいしたことのない日常を取り戻したくなっている。


生徒は大切でぞんざいに扱うべきものではないが、すべてを投げ出して宮城の側にいたいなんて思ってしまう私がいる。


――こういうのは良くないな。


宮城が似合うと言ってくれた色を塗った爪をぎゅっと押して、桔梗ちゃんを見る。良くできた生徒である彼女は、私が言ったことをきちんとこなしている。


出した宿題をやっていないなんてことはないし、勉強を教えている途中にサボろうとしたりしない。連休中だからといってだらけることなく、真面目に私の前に座っている。


私が家庭教師の真似事をしたときの宮城とは違う。


まあ、宮城はほかの誰とも違うのだけれど。


私は桔梗ちゃんから投げかけられるいくつかの質問に答え、新たな問題を出す。ゴールデンウィークもこれまでと変わらずに時間が過ぎていき、気がつけば決められた時間の終わりが近づいていた。


「そろそろ終わりにするけど質問ある?」


ノートにペンを走らせている桔梗ちゃんに問いかけると、彼女は少し考えてから口を開いた。


「先生は、連休中なにか予定あるんですか?」

「予定かあ。先生することかな」


予想していなかった言葉が飛んできて、ほかにもある“家庭教師の予定”をにこりと笑って答える。


「それ以外にです」

「先生すること以外だと、家にいるだけで特に予定ないんだよね」


ペンギンを見に行くという予定はあるが、わざわざ生徒に言うことではないから黙っておく。


「ルームメイトの人、……宮城さんと遊びに行ったりしないんですか?」


桔梗ちゃんがペンを置き、私をじっと見る。

彼女は宮城と会ってからルームメイトという単語をよく口にするようになった。いや、会う前からかもしれない。


「行く予定はないかな」


笑顔で嘘を口にする。

心苦しくはあるけれど、本当のことを言うと面倒なことになる予感がする。


「せっかくの休みなのに。宮城さんと喧嘩してるんですか?」

「してない、してない。仲いいよ」

「宮城さんってバイトしない派だって言ってましたけど、もしかして宮城さんもバイトしてて忙しいんですか?」

「まあ、そんなところかな」


宮城を嘘で塗り固めているようであまり良い気分ではないが、本当のことを言うよりはいいだろうと思う。こういうときは、無難な理由でやり過ごしてしまったほうがいい。


それは私がずっとしてきたことで、慣れていることだ。

でも、最近あまりしていないことでもあって、罪悪感を覚えるようになっている。


「大学生って大変そうですね」


桔梗ちゃんがしみじみと言う。


「結構ね」

「私にルームメイトがいたら、休みの日はルームメイトと遊びたいなー」

「じゃあ、そういう人とルームメイトになれるといいね」


ルームメイトに憧れがあるのか。

それとも別の理由なのかはわからないが、私には当たり障りのない言葉しか口にすることができない。


「ですね」


本当にそう思っているのかわからない声で桔梗ちゃんが言い、「先生、時間です」と付け加えた。時計を見ると、確かに決められた時間は過ぎている。


「じゃあ、今日はここまでね」

「はい」


桔梗ちゃんの返事を聞いてから、私はテーブルの上の参考書やペンケースを片付ける。鞄を持って部屋を出ると、いつものように桔梗ちゃんが玄関まで送ってくれる。


「またね」


私の声に桔梗ちゃんが、ありがとうございました、とぺこりと頭を下げた。


玄関を出ると、すぐに宮城のことが頭に浮かぶ。


早く帰りたい。


気持ちを反映するように踏み出す一歩が大きくなる。ここへ来たときよりも景色が流れるスピードが速い。夜の街を走るように歩いて電車に乗る。


宮城は今日も家にいる。


みんなバイトをしているから連休中はどこにも行かないと言っていた。だから、明日も明後日も家にいる。


高校生だった私の居場所は宮城の部屋だったけれど、今は宮城とルームシェアをしているあの家が私の居場所で、宮城の居場所にもなっている。


永遠なんて信じるようなものではないが、できることなら永遠に、宮城のルームメイトとしてあの家で暮らせる大学生でいたいと思う。


こうしてバイトをして、電車に乗って、宮城がいる家に帰る。


そういう日々を繰り返していたい。

リピートし続けることができない現実から目をそらし、できもしないことを考えていると降りるべき駅がやってきて、ホームに降り立つ。


改札を出て、ミケちゃんとよく会う道を歩く。でも、夜はミケちゃんがあまり顔を見せてくれないから彼女に会うことなく家へ辿り着いた。


鍵を開けて中へ入ると、ちゃんと宮城の靴がある。共用スペースに入るとフライパンと格闘している宮城がいて、声をかけた。


「ただいま」

「おかえり」


私の顔を見ずに宮城が言い、「ご飯食べる?」と聞いてくる。


「食べる。……麻婆豆腐?」


共用スペースに漂う香りから夕飯のメニューを予想する。


「たぶんそう」

「たぶん?」


聞こえて来た声があまりにも自信がなさそうで、私は彼女に近づく。そして、フライパンを見ると、そこには豆腐の面影がない麻婆豆腐らしきものがあった。


「お腹に入ったら一緒だから」


宮城が言い訳のように言う。


「美味しそうじゃん。鞄置いてくるから待ってて」


豆腐が崩れすぎているくらいで麻婆豆腐が美味しくなくなるということはないはずだ。それにたとえ美味しくなくても、宮城が作ってくれたものに文句をつけたりはしない。


私は部屋へ戻って、鞄を置く。

すぐに共用スペースに戻り、夕飯の準備を手伝う。

テーブルの上にご飯と麻婆豆腐を用意する。


スプーンはお皿に。

お箸は猫の箸置きに。

そして、宮城は向かい側に。


すべての配置が整って、私も椅子に座る。


「いただきます」


声が揃って、二人で麻婆豆腐を口に運ぶ。


早く隣に座りたい。


そう思いながら、私は豆腐がかくれんぼをしているような麻婆豆腐を一口食べた。


Translation Sources

Original