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Chapter 291

仙台さんの唇に指をゆっくりと這わせる。


繋いでいた手よりも柔らかい。

軽く押すと、唇が開く。

ほんの少しだけ指を中へ押し込むと、緩く噛まれる。


彼女から求められたのはキスで、このままでは映画の続きは観られない。


躊躇う理由はない。


指を引き抜く。

押し倒したかったわけではなかったのに、押し倒すことになった仙台さんの目を見る。

彼女の目は真っ直ぐに私を見ている。


安心したり、ドキドキしたり。

その日、そのとき、その時間。

見つめた目から感じるものが違う。


今日は少しドキドキしている。

その理由は知りたくない。

唇を近づけて、触れる前に問いかける。


「仙台さん、キスしても映画の続き観るつもりないでしょ」


こういうとき、彼女がどう答えるのか知っている。

仙台さんが決めた流れがあって、それに逆らうことは許されない。会話は決まった場所に着地する。


「そんなことないって」

「ある。仙台さんすぐ嘘つくじゃん」

「嘘かどうか試してみなよ」


私の下で仙台さんがにこりと笑う。

よく見る笑顔は、作られたものだと一瞬でわかる。


気に入らない。


彼女の口から出てきた言葉は私の予想通りのもので、これから私がすることは彼女の予想通りのものだ。わかっているから私は文句を言ったりはしない。会話の方向を変えようとする努力は無駄でしかない。どんなに違った方向へ向かおうとしても、キスの結末なんて同じものにしかならない。


求められているキスが一回なのか、二回なのか。

それ以上なのか。


そういうことは聞かずに私の唇を仙台さんのそれにくっつける。でも、すぐに唇を離して、体も離そうとすると、時間にして一秒未満の触れあいが気に入らないものだったのか、仙台さんに腕を引っ張られた。


「宮城」


少し低い声が私を呼ぶ。

交換条件のキスはした。だから、私の唇にはもう用がないはずなのに、仙台さんの唇がくっつく。そのまま彼女の腕が私の背中に回される。唇と同じように体もくっつきそうになって、私は彼女の腕を掴んで剥がした。


「やっぱり嘘じゃん。さっき本当のことしか言わないって言ったくせに」


私は、麻婆豆腐を食べたときに彼女が言った言葉を持ち出す。

仙台さんは私が作った麻婆豆腐を食べて美味しいと言った。その言葉を嘘だと言った私に、彼女は「本当のことしか言わない」と言った。


仙台さんはいつもそうだ。

私が彼女のことを信じられなくなるようなことばかりする。


「本当のことしか言ってない」


仙台さんが平然と嘘を言う。


「じゃあ、映画の続き観て」

「キス、足りないんだけど」

「仙台さん、何回とかって言わなかった」


仙台さんはキスが何回とは言わなかったし、私も聞かなかった。こうなるってわかっていたのに、私は彼女が持ちかけてきた交換条件を受け入れた。


仙台さんは私に従うべきだし、私は仙台さんに従いたくない。


そう思っている。それなのにこうして彼女の操り人形になったように動いてしまうことがある。


まるで仙台さんとキスを何度もしたいみたいだ。


そんなつもりはなかったのに、そんなつもりに見えそうで、私は体を起こして床に座る。


「……映画、観なくていいから」

「それ、もっとキスしたいってこと?」


仙台さんが間違っているとわかっている答えを口にする。


「違う。部屋に戻る」


交換条件の対価を求めて彼女の言いなりなっていたら、キスだけじゃ済まなくなる。


たぶん、仙台さんはキスの先もしたくて、馬鹿げた交換条件を持ち出してきた。そして、そんな仙台さんが許されるくらい私たちはそういうことを何度かしている。


「映画は?」


体を起こした仙台さんがぼそりと言う。


「……」


長くはない中途半端な休み、親しい友だちはバイトで時間がなくて、私だけが時間をもてあましている。好んで一人でいるわけではない私には、仙台さんとそういうことがあってもいいのかもしれないなんて気持ちが入り込む隙間がある。


私だけが仙台さんに触って、仙台さんが私だけを触る。


そういう時間があれば、仙台さんがバイト先でなにをしているのかなんて考えなくても良くなるような気がする。


――本当に?


当然のように私の隣に座った仙台さんをじっと見る。


仙台さんが家庭教師のバイトに行く。そのことについては納得しているが、バイトという言葉と一緒に今まで知らなかった彼女の生徒の顔が頭に浮かぶ。


面白くない。

つまらない。

腹立たしい。


どれも当てはまらないくらい嫌な気分だ。

仙台さんが私のものになっていても足りないくらいに嫌だと思う。


「宮城」


柔らかな声で呼ばれる。

でも、返事ができない。


「やっぱり映画の続き観よっか」


さっきまでのことがなかったかのような優しい声とともに、ベッドの上に置いてあったタブレットがテーブルの上に置かれる。


「……観ない。部屋に戻る」

「そんなこと言わないで、続き観なよ。続きじゃない方がいいなら、違う映画にするけど」

「そうじゃない」

「じゃあ、なんなの?」


仙台さんの手が伸びてきて、私の髪に触れる。なんでもないことのように指先が絡まり、軽く引っ張られる。私はその手を握って、床にべたりと貼り付ける。


「なに? 床より宮城を触りたいんだけど」


そう言うと、仙台さんが床から手をバリバリと剥がす。そして、また髪に触ろうとしてきて、私はその手をぺしんと叩いた。


「……仙台さんって、生徒に触ったりするの?」


思ったよりも小さくなった声で尋ねると、平坦な声が返ってくる。


「勉強教えてるときに生徒に触る要素ってあると思う?」

「わかんないけど、あるかもしれないじゃん」


高校生だった仙台さんは勉強をしているときに、私に触った。


私も仙台さんに触ったけれど。


「ないよ。勉強教えるのに触る必要ないから」

「……生徒の方からは?」

「その生徒って、桔梗ちゃん?」

「もう一人の子も」

「家庭教師が生徒に触られる要素ってないんだけど……」


夕飯のメニューを伝えるときと変わらない声が聞こえてきて、途中で途切れる。言葉は途切れたまま続かない。居心地が悪くなってカモノハシのティッシュカバーを引き寄せてティッシュを一枚引き抜こうとすると、仙台さんが「それってさ」となにかを言いかけたから私は彼女の足を蹴った。


嫉妬している、と言われたくはない。

これは嫉妬とは違う感情だ。


仙台さんが私とするようなことをほかの誰かとしてほしくない。


ただそれだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

私は立ち上がり、ペンギンをベッドの上から掴んで取って、仙台さんの隣に置く。


「これ、私の代わり。したいことがあるならペンギンにすれば」


仙台さんといると、おかしくなる。

舞香たちには絶対に言わないようなことを言ってしまうし、舞香たちには絶対に思わないようなことを思ってしまう。


それは、仙台さんと舞香たちが違うものに分類されているからだとわかっている。


舞香たちは友だち。

仙台さんは――。


舞香たちを友だちと書いた場所にしまっているように、仙台さんはルームメイトと書いた場所にしまってある。けれど、仙台さんを分類した文字を読みたいと思えないときがある。


こういうのは良くない。

私と仙台さんの今の距離は近すぎる。

きっと、ペンギン一個分くらいの距離が必要だ。


「……これが宮城か。まあ、そっくりだよね。結構出てるし」


仙台さんがペンギンを抱えてお腹を叩く。


「そこまでお腹は出てないから」


私は仙台さんの足をぎゅっと踏んでから、彼女から少し離れた場所に座る。


「そう? 確かめてみてもいい?」


いいとも悪いとも言っていないのに仙台さんが勝手に距離を詰めてきて、私のお腹を撫でてくる。


「むかつく」


仙台さんの手を思いっきり叩く。


「いいじゃん、少しくらい」

「良くない。触りたいならペンギン触ってよ」

「それはペンちゃんになら、なにしてもいいってこと?」

「……なにしてもって、なにするつもり」


仙台さんの肩を押して彼女を見ると、意味ありげな笑顔を向けられる。


「なにしてほしい?」

「そういう質問するの、ずるい。仙台さんって、いっつもそうだよね」

「宮城がしてほしいことしてあげようと思って。ペンちゃん、宮城の代わりなんでしょ?」

「変なことしそうだから返して」

「変なことなんかしないって」


にこやかにそう言うと、仙台さんがペンギンのクチバシにキスをして、お腹にキスをする。それだけでやめると思ったら、彼女の唇は短い足にくっついて、私はそこでペンギンを奪った。


「やっぱり変なことしたじゃん。仙台さんの変態」


本当に彼女はろくなことをしない。

私はペンギンをベッドの上に戻して、仙台さんを睨む。


「変態ってほどじゃないと思うけど」

「絶対に変態だから」

「じゃあ、宮城。変態とペンギンを見に行く約束はどうするの? まだ目的地が決まってないけど、行かないとか言う?」


手を伸ばしてくることも、距離を詰めてくることもなく、仙台さんが膝を抱える。


「……行く」

「どこに?」

「私が決める」

「宮城が?」


驚いたように仙台さんが言って、私を見る。


「そう。だから仙台さんはごちゃごちゃ言わないで。あと映画観るから、大人しくしてて」


私はしなくていいことしかしない仙台さんに念を押してから、タブレットの再生ボタンを押した。


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Translation Sources

Original