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Chapter 359

人混みの中。

手を繋ぎたいとは思う。


けれど、手を繋がなくてもお祭りは楽しいし、二人で浴衣を着ることもできている。迷子になったとしても、一人で帰れない場所ではない。スマホがあるから、待ち合わせ場所を決めて落ち合うこともできる。


だから、手は繋がなくてもいいし、繋いでなくても浴衣の袖を掴む宮城が可愛いからそれでいい。


手を繋げないことを納得させる理由はいくつもあって、私は宮城に微笑む。


「御神輿、もう少し見る?」


問いかけると、すぐに「見る」という声が聞こえてくる。


なにが楽しいのか宮城の視線は私ではなく、威勢のいいかけ声に合わせて揺れる御神輿に向かっている。


暑い夏にぴったりの光景だが、私の目は宮城以外を映さない。


気温がそうさせているのか少し赤い頬。

私を見ない目。

黒い髪に隠されたプルメリアのピアス。

宮城に特別似合う浴衣。


私は、彼女が袖を掴んでいるほうの腕を軽く動かす。


宮城の目が私を映す。

御神輿が遠ざかっていき、私は彼女に声をかけた。


「宮城、口開けて」

「……なんで?」

「ベビーカステラ、食べさせてあげる」


さっき買ったベビーカステラが入った袋を見せると、宮城が眉根を寄せる。そして、私に向かって手を伸ばしてきたから、彼女から袋を遠ざけた。


「仙台さん、取れないじゃん」

「食べさせてあげるって言ったでしょ」

「……じゃあ、いらない」


低い声とともに、伸ばされた手が引っ込む。


「ごめん。せっかくだし食べて」


はい、と袋を差し出すと、宮城が疑うように私をじっと見た。食べて、ともう一度言うと、彼女は袋の中からベビーカステラを取り出し、甘い香りを漂わせたそれをぱくりと食べた。


「美味しい?」

「美味しい」


小さな声で答え、宮城がまた袋の中からベビーカステラを取り出して食べる。


「もう少し屋台見て回ろうか?」

「もう行くの?」

「御神輿行っちゃったけど、宮城はまだここにいたい?」

「……いい。屋台見る」


私たちはベビーカステラを食べながら、歩く。


「ほしいものある?」


さっき歩いた神社へ戻り、宮城に尋ねる。


「別に」

「食べたいものは?」

「別に」

「別にじゃわかんないじゃん」

「仙台さんに任せる」


ほしいものがあるわけでも、食べたいものがあるわけでもないが、まだ帰りたくない。一時間でも二時間でも、宮城とこうして歩いていたい。


神社の中を歩く理由なんてそんなもので、でも、私にとってその理由はなによりも大切なものだ。


宮城の手が私の袖を強く掴む。

歩くスピードを落として、問いかける。


「やっぱり手、繋ぐ?」

「繋がない」


愛想の欠片もない声だが、袖を掴む手は離されない。


私たちは、わいわいがやがや楽しそうな空気の中をゆっくりと歩く。たくさんあったベビーカステラがなくなり、袋を指定の場所に捨てる。


お祭りというものはいつだって人が多い。

油断すると波のような人に流されそうになる。


袖に程よい重さを感じるから絶対にそこにいるとわかるけれど、隣にいる宮城を時々見る。


視線が合っても宮城はなにも言わない。


夕方と言ってもいい時間とは言え、風がないし、涼しくはない。

額に汗が滲む。

でも、暑さも人通りの多さも、喋らない宮城も悪くない。


幸せそうな人の波が心地いい。

宮城の歩くスピードが落ちる。

私たちはかなり、ゆっくり、歩く。


それは、一時間でも二時間でも宮城と歩きたいと思う私にさえ丁度良いスピードとは言えない。


――遅すぎる。


違和感を覚えるほど、はっきりと、隣に聞くまでもなく、遅い。


「宮城?」


私は、なんとなく見ていた屋台から隣に視線を向ける。


「仙台さん、こっち見なくていいから歩いてよ」


宮城が私の腕を乱暴に押す。


「……調子悪い?」

「悪くない」


怒ったように即答される。

普段なら、機嫌が悪い、で済む声だけれど、今は違って聞こえる。


もしかして。

いや、もしかしなくても。


「……足?」


宮城の顔から視線を下ろす。

歩き続けようとする宮城の足を注視する。

人が多いし、動いているからよくわからない。


でも、でも。

原因は、どう考えてもお揃いの下駄だ。


「宮城、足痛いんでしょ」


足を止めて、私の袖にくっついている宮城の腕を掴む。


「痛くない」

「宮城」

「大丈夫」

「大丈夫じゃないでしょ。足見せて」

「大丈夫だって言ってるじゃん。大体、こんなところで止まってたら邪魔だし、行こうよ」


いつも以上に不機嫌な声で宮城が言い、歩きだす。

けれど、速度は遅い。


ゆっくり、ゆっくり歩く。


私は宮城の顔を見る。

眉間の皺が深い。

目つきも鋭い。


こういうときの彼女は私の足を蹴ってきてもおかしくないのだけれど、黙々と歩いている。


外だから。

下駄を履いているから。


足を蹴らずにいるのはそんな理由かもしれないけれど、歩く速度の遅さを考えるとそれだけとは思えない。


原因はどう考えても鼻緒擦れだ。


「じゃあ、さっきたこ焼き食べた場所。あそこが近いから、そこに行って足見せて」

「やだ」


宮城がきっぱりと言う。

どうやら私の言葉を聞き入れるつもりがないらしい。


こうなったら仕方がない。


宮城の腕を引っ張って二人でたこ焼きを食べた場所へ向かい、空いている椅子を探して彼女を座らせる。


「足見るから、下駄脱がすよ」


私はしゃがんで、宮城に触れる。


「やだ」


短い言葉とともに、さっき私を蹴らなかった宮城が私を蹴ろうとしてくる。


「脱がせるから、大人しくしてなよ」

「やだもん」

「お願いだから、大人しくして」


私は馬鹿だ。


不機嫌で口数が少ない。

そんな宮城をいつもの宮城だと思っていたけれど、そんなことがあるわけがない。


着たくない浴衣を着て、履きたくない下駄を履いた。

しかも下駄は真新しいものだ。


それはどれも慣れないもので、考えるまでもなく宮城は無理をしていた。


あまり喋らなかったこと。

ゆっくり歩いていたこと。

袖を掴まれたこと。


振り返れば、一つの答え“鼻緒擦れ”に辿り着く。


私は、私に合わせてくれる宮城が嬉しくて、見つけられるはずのものを見ずにいた。


「宮城、お願い。私のいうこときいて」


しゃがんだまま、宮城を見上げ、彼女の目を見て頼む。


宮城の眉間の皺がさらに深くなる。

口が開き、閉じられる。


しばらくして、はあ、と小さく息が吐き出され、ぼそぼそとした声が聞こえてくる。


「……自分で脱ぐ」


宮城が下駄を脱ぎ、私の膝をちょこんと蹴る。

その足を捕まえて、じっと見る。


親指と人差し指の間。

そして、親指と人差し指の付け根からその少し上まで。


見てわかるくらい赤くなっている。


「痛かったでしょ」

「別に」


ぼそりと宮城が答える。

私は、宮城が野良猫のようだということを忘れてた。


彼女は、具合が悪くてもそれを隠して教えてくれない。

約束していた水族館へ行く当日に風邪を引いたときも、そうだった。


宮城は弱みを私に見せたりしない。

風邪を引いた宮城を見たときに、もっと気遣うべきだったと後悔したことを忘れていた。


「宮城、ごめん」

「謝る必要ない。平気だし」


一緒にお祭りに行く。

できれば、浴衣を着て。

お揃いの下駄も履いてくれたら嬉しい。


その願いが全部叶い、私は叶ったことだけを喜んで、宮城をちゃんと見ていなかった。


――宮城がしたくないことや苦手なことがどんなことかなんて、誰よりもよく知っているのに。


「宮城、ごめん。本当にごめん」

「大変なことが起こったみたいな顔やめてよ」

「大変なこと、起こってるじゃん。本当にごめんね」

「足なんて大したことないし、気にしなくていい」


今日の私は、いつものスピードで歩けないくらい宮城に無理をさせて、宮城に嘘をつかせている。


最低だ。

普段なら気がつけたことに気づけていない。


「よくない。サンダルとかそういうもっと歩きやすいもの買ってくる」


こんな場所で宮城を一人にしたくはないけれど、このままにしてはおけない。


「いい。もう痛くないし」

「嘘」

「ほんと」

「買ってくるから待ってて」


私は立ち上がり、神社の近くでサンダルのようなものを売っていそうな場所を考える。


値段は問わない。

なるべく近くで早く帰ってこれる場所。

そんな場所は――。


「……それ、一人でここにいろってこと?」


浴衣の袖が引っ張られる。


「すぐ戻って来るから」

「……こんな浮かれた人ばっかのところで一人にされるほうがやなんだけど。サンダルなんかどうでもいいから……。仙台さん、ちゃんとここにいて浮かれててよ」


お祭りの喧噪にかき消されてしまいそうなほど小さな声で宮城が言い、また私の袖を引っ張る。


「……下駄はどうするの?」

「裸足でいい」

「いいわけないじゃん。裸足じゃ家に帰れないし、なにも解決しないでしょ」

「仙台さん、スマホ」

「え?」

「出して」


大きな声ではないけれど、逆らえないくらい強い口調で言われてスマホを出す。


「そのスマホで、この状態の解決方法調べて」

「わかった」


言われた通りに鼻緒擦れについてスマホで調べると、すぐに解決方法になりそうなものが見つかる。


「絆創膏貼ればいいって。絆創膏なら持ってるけど、水で濡らしたハンカチかなんで拭いてから貼ろうか?」

「それだと、ここに一人でいることになるじゃん。このまま貼ってよ」

「じゃあ、帰ったら綺麗にしよっか。足、貸して」


そう言ってしゃがむと、宮城が素直に足を出してくれる。

私は、彼女の足の赤くなっている部分に絆創膏をぺたりと貼る。


「似たようなこと、高校のときにあった」

「宮城が包丁で指切ったとき?」


返事はない。

けれど、私が宮城の家で唐揚げを作ったときのことを考えているとわかる。あの日、宮城はキャベツと一緒に指を切り、私は彼女に絆創膏を貼った。


あのとき、宮城の血を舐めた私に“宮城”が交じった。そして、今の私には、もっとたくさんの“宮城”が交じっている。それは私に交じった血と同じで分離できないもので、私はこれからもっと“宮城”が私に交じることを望んでいる。


「仙台さんの絆創膏って、可愛くないよね」

「可愛いほうがいいなら、今度から可愛いヤツにするけど」


包丁で指を切った宮城に貼った絆創膏は宮城のために持っていたものではないけれど、今は違う。私は、宮城のためだけに絆創膏を持ち歩いている。


「これでいい。こっちのほうが仙台さんっぽいし。……終わった?」


右足と左足。

赤くなった部分はすべて絆創膏で覆った。

何枚も貼った


「うん。下駄、履いてみて」


私の声に、宮城が恐る恐る下駄を履いて立ち上がる。


「大丈夫? 痛くない?」


問いかけると、「仙台さん、スマホ貸して」と返ってくる。


「え? なんで?」

「いいから貸して」


鞄からスマホを出すと、あっという間に私の手からそれが奪われる。


なにするの。


言葉を口に出す前に、宮城が肩を寄せてくる。どうしたの、と言いたかったけれど、そんな短い言葉を口に出す隙も私に与えず、宮城がスマホを空に掲げた。


カシャリ。


浴衣の宮城と私がスマホに保存された音がして、スマホが返される。


「絆創膏のお礼。焼きそば買って、帰ろうよ」


私が置いていかれそうなほど早口で、宮城が言った。


Translation Sources

Original