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Chapter 361

お祭りの翌日も足は痛かった。


でも、仙台さんをゲームでぼこぼこにしたし、完膚なきまでに叩きのめした。何度も彼女の「あと一回」に付き合ってもあげたし、あの日はいい日になったと思う。


けれど、今日はあまり良くない一日になりそうだ。


「志緒理ちゃん、浮かない顔してるねえ。今月大学始まるし、もう少し休みを延長してほしい感じ?」


バイト中のはずの澪さんが、仕事を放棄して軽やかな声で言う。


「志緒理、夏休み延長反対派だよね」


楽しそうな澪さんの言葉を受けた舞香の明るい声が、テーブルの向かい側から聞こえてくる。


「あれ? 志緒理ちゃんって大学早く始まってほしいんだ?」

「そういうわけじゃないけど……」

「私はもう少し夏休み延長したいけどね」


私の隣に座っている仙台さんが真面目な声で言い、カフェオレを飲む。


夏休み最終日まで二週間を切っている。


残りの日々はなにもしないつもりだったけれど、予定が変わって、今日はなにもしない日じゃなくなってしまった。


発端は、澪さんによって形成されたグループ“変な鳥”に届いた悪魔のようなメッセージだ。


『カフェでバイトをしているから遊びに来て』


なんて言葉が澪さんから届き、舞香が「行く」と答えて、私と仙台さんも巻き込まれ、カフェに集まっている。個別に会うならいいけれど、四人まとめて一つの場所に集まるとろくなことが起こらない気がする。


「夏休みを延長しても、あたしとは遊んでくれないんでしょ」


テーブルの横に立っている澪さんがわざとらしく涙を拭う仕草をして、仙台さんをちらりと見る。


「そんなこともないよ」

「そんなこともって、“も”の部分に含みを感じる。遊んでくれなそうでショックなんだけど」

「そんなにショックじゃないくせに」


仕事に戻ろうとしない澪さんが「そうだけどさ」と髪の毛一本よりも軽い声で言い、「そうだ。葉月、誕生日おめでとう。直接言ってなかったから」と付け加える。そして、それに続くように、舞香が「誕生日おめでとう」と明るい声で言った。


「二人ともありがと」


柔らかな声で仙台さんが言う。


「それ、誰かからの誕生日プレゼント?」


澪さんがにやりと笑い、仙台さんのネックレスを指さした。


もちろんそれは私が贈ったネックレスで、仙台さんは四つ葉のクローバーが誰からも見えるようにつけている。


今、店内はそれほど混んでいないが、澪さんはそろそろバイトに戻るべきだと思う。けれど、夕方前のこの時間帯は常連ばかりで誰も澪さんを気にしていないし、和やかな空気に包まれている。


「そんなところ」


清々しいほどの笑顔で言い、仙台さんがネックレスのチェーンを引っ張る。

私は、彼女のTシャツの上をじっと見る。


ネックレスは誕生日プレゼントじゃない。


仙台さんは“どんなときもどこへ行くときもつけてて”という私の言葉通りネックレスを正しく使っているけれど、嘘をついている。


でも、なんでもない日にネックレスをあげたなんて本当のことを言われても困る。舞香と澪さんの好奇心を刺激することになって、酷く面倒なことになるはずだ。


「えー、それって誰? 誰? 仙台さんにネックレスをプレゼントする人、すっごく気になる」


“わくわく”という言葉が百個くらい纏わり付いていそうな舞香の声が聞こえてきて、私は頭を抱えたくなる。そんな私の耳に「宮城」という仙台さんの声が飛び込んできて、思わず彼女を見た。


今日一番の笑顔が目に映る。


睨みたいけれど、この場所では睨めない。


「え、志緒理なの?」

「そう」


仙台さんが即答して、舞香の視線が私に刺さる。


「志緒理が誕生日プレゼントにアクセサリーか。ちょっと意外。でも、可愛いね。なんかいいことありそう」


私から視線を外し、舞香が仙台さんの胸元を見る。そして、にこりと笑い、「なんで四つ葉のクローバーなの?」と聞いてくる。


「なんでって……。可愛かったから」


四つ葉のクローバーを選んだ理由は明確なものがあるけれど、それは私と仙台さんだけが知っていればいいもので、ここで言うようなことじゃない。


だから、当たり障りのない理由を口にしたことは当然のことで、おかしなことだとは思わない。そのはずなのに、胸がつかえて苦しい。


「宮城、可愛いもの好きだよね」


仙台さんの声が聞こえてきて、別に、と返す。


「志緒理、結構好きじゃん」


舞香の楽しそうな声が聞こえてくる。


ネックレスは、仙台さんが私のものだという印で、仙台さんが私のものだとわかりやすくするためのものだ。


これは大事なことで、嘘はつかずに本当のことを言いたい私がいる。でも、言うわけにはいかなくて、これからも嘘をつくことになる。


気持ちが悪い。

私はアイスティーを一口飲む。

胸につかえたものはなくならない。


もう一口飲む。

氷のように溶けてなくなったりはしなくて、手が四つ葉のクローバーに触れたがる。私は左手で右手を捕まえ、ぎゅっと押さえる。


「志緒理ちゃん、こういう可愛いの好きなんだ」


スナック菓子のような軽い声ともに、澪さんの手が仙台さんの胸元に伸びる。

あっ、と声と手が出そうになってのみ込む。


澪さんの手が、私が触れたくてたまらない四つ葉のクローバーに近づく。


あと五センチくらい。

それくらいになって、胸が痛くなる。

右手をもっともっとぎゅっと押さえる。


あともう少し。

澪さんの手と四つ葉のクローバーの距離がゼロに近くなり、でも、その手が四つ葉のクローバーに触れることはなかった。


「葉月、これなに。手が動かせないんだけど」


仙台さんに手を掴まれ、テーブルにぺたりと押しつけられている澪さんが驚いたように言う。


「バイトをサボってる罰」

「なかなか厳しいね。まあ、そろそろ仕事に戻ろうと思ってたから丁度いいけど」

「じゃあ、罰は終了しようかな」


軽やかな声とともに澪さんの手を解放すると、仙台さんが「真面目に働きなよ」と付け加える。


「サボった分取り戻してくる。……けど、その前に一つ」


そう言うと澪さんが、こほん、と咳払いをして言葉を続ける。


「可愛いものが好きな可愛い志緒理ちゃんの誕生日が迫っているわけですが、当日、葉月の誕生日も合わせて葉月&志緒理誕生日会を開いてもいい?」


例のグループでメッセージをやり取りしているうちに、澪さんに誕生日を聞かれて、言いたくなかったけれど教えたことがあった。それは、こんなことになるのではないかという予感があったからで、今、見事にそれが的中してしまった。


私はにこやかな澪さんを見て、なんと言って断ればいいかを考える。けれど、考えがまとまらないうちに仙台さんがきっぱりと言った。


「その日、私と宮城は予定あるから」

「もしかして、二人でお祝いするってこと?」


澪さんの声に、仙台さんが「そんな感じかな」と答える。


「そう言えば、去年も二人でお祝いしてたよね」


舞香が思い出したように言って、澪さんがその言葉に食いつく。


「えー、あたしもまぜてよ。舞香ちゃんもまざりたいでしょ?」

「うーん、まぜてって言いたいところだけど、一緒に住んでる者同士でお祝いしたいだろうし……。別の日とかは?」

「まあ、そっか。じゃあさ、そのうちでいいから、二人の誕生日をまとめて祝わせてよ」


にこにこと人の良さそうな笑みを浮かべて、澪さんが私と仙台さんを見る。


この状況で「嫌だ」とは言えない。


答えは一つで、私は「いいよ、みんなで集まろう」と笑顔を作る。


「いつでもいいし、そうしてもらえると助かる」


仙台さんが明るく言い、澪さんが「じゃあ、そういうことで」と言い残してバイトに戻る。


残された私たち三人はケーキを追加注文して、夏休み中にあった出来事を語り合う。


聞きたくない仙台さんのバイトの話。

聞きたかった舞香の地元へ帰っていた話。

私が仙台さんをゲームでぼこぼこにした話。


夏休み中のあれこれとともに、飲み物が胃に流し込まれ、あとからきたケーキも消えていく。そして、仙台さんがお祭りに行った話をし出して、舞香が目を輝かせた。


「二人とも浴衣着たんだ?」

「着た。宮城、似合ってたよ」

「似合ってない」


仙台さんの言葉を即座に否定すると、舞香がくすくすと笑う。


「お祭り、私も行きたかったなー。志緒理の浴衣姿見たかった。仙台さん、写真ないの?」

「あるけど、本人の了承を得てから見せないと一生恨まれそう」

「別に恨まない」


少し低い声で答えると、仙台さんが「じゃあ、見せてもいいんだ?」なんて楽しそうに言うから、私は彼女の肩を軽く押した。


「良くないに決まってるじゃん」

「相変わらず仲いいね。なんかお祭りで面白いことあった?」


くすくすと笑い続けていた舞香がさらに笑って、身を乗り出してくる。


「すっごい久しぶりにわたあめ食べたけど、美味しかった」


私は、あの日食べたものの中で一番印象に残っているものの名前を挙げる。


遠い昔にお祭りで食べたことがあるそれは普段食べることのないものだけれど、嫌いじゃない。ふわふわで甘くて優しい気持ちになれる。


「いいなー、わたあめ。お祭りっぽい。あ、来年、みんなでお祭り行きたい。浴衣着てさ」


舞香が楽しそうに言って、私と仙台さんを交互に見る。


その目は期待に満ちていて、行かない、とは言えそうにないし、大切な友だちに言いたい言葉じゃない。でも、仙台さんも一緒にというのは面白くないし、浴衣を着てという部分を聞き逃すこともできない。


「着ないから」


仙台さんと一緒には駄目だなんて言えないから、否定できるほうをしっかりと否定しておく。


浴衣はもう着ない。

この前は例外だ。


「着たらいいじゃん。志緒理、似合いそう」

「宮城、本当に浴衣似合ってたし、また着たら?」


仙台さんが舞香に同意して、笑顔を私に向ける。


本当にこういうときの仙台さんはむかつく。

私が困るようなことばかり言う。


「私も志緒理の浴衣姿見たいし、着てよ。それで、みんなでお祭りに行けば、大学生活思い出の一ページになるじゃん」


舞香の声に、仙台さんが「みんなで浴衣着るの楽しそう」と無責任なことを言ってネックレスに触れる。おかげで私は仕方がなくなって、言いたくないことを言うはめになる。


「……まあ、覚えてたら」

「約束ね!」


舞香が満足そうに言い、隣で仙台さんが四つ葉のクローバーをぎゅっと握った。


Translation Sources

Original