Chapter 365
玄関のドアを開ける。
澪と別れてから寄り道をせずに真っ直ぐ帰ってきたのに靴がもうあって、共用スペースへ急ぐ。いるとは思っていなかった宮城がグラスにサイダーを注いでいて、声をかける。
「帰って来るの早くない?」
「仙台さんが遅い」
不機嫌そうな声が聞こえてくる。
「宮城、ご飯まだ食べないよね?」
「部屋でサイダー飲む」
「荷物置いたら、部屋に行ってもいい? 話があるんだけど」
「……話って?」
怪訝そうな声に「部屋で話す」と返すと、宮城がペットボトルを冷蔵庫にしまってそれなりに冷たい声で言った。
「勝手にすれば」
「ありがと」
笑顔で言うと、宮城がサイダーの入ったグラスを持って部屋に消える。私も自分の部屋へ行き、荷物を置く。共用スペースで麦茶をグラスに注ぎ、それを持って宮城の部屋のドアをノックする。
「入れば」
姿を見せない宮城に素っ気なく言われ、中に入る。
麦茶をテーブルの上へ置き、宮城の隣に座る。
「帰ろうと思ったら、澪に捕まっちゃって」
わざわざ言う必要のない情報ではあるけれど、これからする話の内容を考えると伝えておいたほうがいい。
「なんでそんなことわざわざ言うの?」
隣から棘が生えた言葉が飛んできて私に突き刺さる。
冷ややかな彼女ににこやかに答える。
「さっき遅いって言われたから、遅くなった理由を説明しただけ」
「……約束してたわけじゃないから、遅いとか早いとか関係ないのに、遅くなった理由言うなんて変じゃん」
「変じゃないよ。これからする話、澪絡みの話だから」
できることなら、宮城の機嫌を損ねるものだとわかっている澪の話よりも楽しい話がしたい。
でも、この話は先送りにできない。
そんなことをすれば、今よりも面倒なことになる。
「澪が言ってた私と宮城の誕生日会、いつやるかは決まってないけどここでやることになった」
「……え?」
「ごめん」
手を合わせて謝る。
でも、宮城は石像にでもなったかのように動かない。
「澪が能登先輩も呼んで自分の家でやるって言いだしてさ、それ、宮城困るでしょ?」
問いかけはしたが、返事は期待していないし、喋らせたくない。
今、彼女に喋らせたら文句しか言わないだろうから、ここで絶対に伝えなければならないことを一気に喋る。
「だから、澪と宇都宮をこの家に呼ぶことにした。この家でやるなら四人が限界って言ってあるから、メンバーは増えないし、五人で誕生日パーティーするよりマシだと思う」
喋り終えると、静寂が訪れる。
宮城はなにも言わない。
けれど、彼女の手がゆっくり動いて、ワニのティッシュカバーを掴む。ずるずるとワニが引き寄せられ、持ち上げられるが、私にワニが向かってくることはなかった。
背中からティッシュが生えたワニは宮城に抱きかかえられ、そこが居場所になる。
彼女の顔を見る。
眉間に薄く皺が寄っているけれど、怒ってはいないようで私を睨んできたりはしない。
「……宮城?」
小さく呼ぶと、宮城がワニの手を握って「仙台さん」と私を呼んだ。
「なに?」
「私のいうこと一つきいて。そういう約束だよね」
「そういうってどういう約束?」
思わず聞き返す。
宮城とは約束をたくさんしたけれど、このシチュエーションでいうことをきかなければならないような約束はしたことがない。
けれど、宮城が当然のように言う。
「澪さんと会った日は、私のいうこときくって約束じゃん」
「それは澪と出かけたらってことでしょ」
宮城が言うように“澪と会った日は宮城のいうことをきく”という約束はしている。
だが、それには“大学”でのことは含まれていないはずだ。大学内でのことまで含めたら、私は毎日宮城のいうことをきくことになる。
「そうだけど、今日はそうじゃない」
理不尽な言葉を口にして、宮城が不満そうに私を見る。
「私はなにをすればいいの?」
こういうとき、私は断る言葉を持っていない。
どんなに筋道が通らないことでも、どんなにわき道にそれたものでも、私は宮城の言葉を受け入れるしかないし、私自身もそれを望んでいる。
宮城がワニを床へ置いて迷うことなく私に手を伸ばし、「葉月」と呼ぶ。
ブラウスを掴み、ゆっくりと私がするべきことを告げる。
「これ脱いで。そしたら、舞香と澪さんを勝手にここへ呼ぶことにしたの、許す」
部屋を照らす灯りの下、私の羞恥心を試すように宮城が目を合わせてくる。
命じられたことは難しいことではない。
もう何度もしている。
浴衣を着たときも宮城の前で服を脱いだ。
だから、躊躇う必要はないはずなのに躊躇ってしまう。
「葉月」
小さく、でも、はっきりと呼ばれる。
自分でやれと言うように、ブラウスを掴んだ手が離れる。
「宮城も脱ぎなよ」
「私は脱がない。脱ぐのは仙台さん」
葉月、とは呼ばれない。
それだけで彼女の機嫌を損ねたことがわかる。
叶うとは思っていなかった望みを口にしてみただけだから、大人しく宮城の言葉に従う。
一つ、二つ、三つ。
上から順番にボタンを外していく。
「宮城って本当にエロいよね」
指先に絡みつく視線が気になってブラウスを脱がずに言うと、即座に「仙台さんほどじゃない」と返ってくる。
「宮城のほうがエロい」
「黙って脱いで」
言われた通りにブラウスを脱ぐと、キャミソールが引っ張られ、やるべきことが追加される。
「これも」
「趣味悪いね」
「それ、仙台さんの裸が趣味悪いってことになるけど」
「訂正する。自分は脱がないで人の裸を見たがる宮城の趣味が悪い」
羞恥心がないわけではない。
だから、話さなくてもいいことが口から飛び出てくる。
でも、こんなことをしていても結末は変わらない。
「脱がないの?」
「脱ぐよ」
静かに言って、キャミソールを脱ぐ。
体を覆うものがまだあるけれど、それを脱げとは言われない。
宮城の指先がブラのストラップの上を滑る。
彼女の顔が近づいてきて、肩を齧られる。
痛みはない。
肌の上を柔らかな舌が這う。
鎖骨の少し下、服で隠れる位置に唇がくっつき、強く吸われる。
わずかな痛みのあと、唇が離れる。
たぶん、印がついている。
私は、自分の指で見えない印に触れる。
ネックレスがあっても、こういう印をもっとつけてほしいと思う。
「宮城」
腕を掴んで引き寄せる。
宮城がもう一つ印をつけて、赤い跡を指先で押す。
「葉月」
静かに呼ばれる名前が心地いい。
志緒理、と呼ぶ代わりに「なに?」と問い返すと、宮城が胸元の四つ葉に触れながら言った。
「私の誕生日、綺麗な格好して」
「え?」
宮城は本当になにをするかわからないし、なにを言いだすのかわからない。
服を脱がせて、誕生日に着る服の話をしてくるとは思わなかった。
「どこか行くの?」
意味がわからないまま問いかける。
「どこにも行かない。着て欲しいだけ」
「どういう服を着てほしいの?」
わけがわからないが、断るつもりはない。
宮城が私に望むものがあるのなら、叶えてあげたいと思う。
「なんでもいい。あと、お酒は仙台さんに任せる」
そう言うと、宮城が床に落としたブラウスとキャミソールを拾い、私に押しつけてくる。
どうやらもう服を着てもいいらしく、私は渡されたブラウスとキャミソールを身に着ける。
「お酒、宮城は甘いのでいい?」
「なんでもいい」
宮城の“なんでもいい”はなんでもよくない。
誕生日プレゼントに丸いケーキ。
そして、お酒。
選ぶものがたくさんある。
私は宮城の耳に唇を寄せる。
プルメリアのピアスに口づけて、「宮城が好きそうなもの用意するね」と囁いた。