Chapter 369
「仙台さん。こういうのって、そんな風にごくごく飲むもの?」
乾杯したとき、シードルはグラスの八分目より少し上くらいまで入っていた。でも今、彼女が手にしているグラスに入っている液体は半分以下になっている。
「いいんじゃない? 美味しいし。宮城も飲みなよ」
仙台さんが綿あめみたいにふわりと言う。
「飲むけど……」
グラスに入っている液体を一口飲む。
やっぱり、美味しいと無条件には口にできない。
「仙台さん。ケーキ、ちゃんと食べてよ」
「大丈夫。ちゃんと全部食べるから」
そう言うと、仙台さんがケーキを一口食べて「美味しい」と笑顔を私に向けた。彼女は一口また一口と食べ進め、お皿にのっていた二つのうちの一つを全部食べてしまう。
仙台さんはいつも機嫌がいいけれど、今日はもっと機嫌が良くて“美味しい”ばかり言っている。
確かに誰かと一緒の食事は美味しい。
そして、美味しそうに食べる人との食事はもっと美味しい。
それは事実で、間違っていない。
どうしてか仙台さんといると、そんな単純なことに気がつく。
「宮城も食べなよ」
にこにこした仙台さんに言われて、お皿に並んだ二つのケーキのうち三角形の頂点がなくなっている一つを食べる。チョコレートでできたメッセージプレートもバリバリ食べて、私の中にお祝いの言葉が溶ける。
すべてが甘くて美味しい。
もう一つのケーキの上にのっている苺をほおばる。
スポンジを崩して、白いクリームを舌の上で溶かす。
仙台さんを見ると、残りのケーキを美味しそうに食べている。
少しずつ、丸いケーキの一部だった三角が私たちの中に消えていく。
「宮城、全部食べられる?」
お皿の上の三角形を食べきった仙台さんが私を見る。
頷いて誕生日の象徴をお腹に収めると「ケーキ、美味しかったね」と微笑まれて、「美味しかった」と返す。
「じゃあ、次は今日のメインイベント」
仙台さんの声が耳に響く。
「メインイベント?」
「誕生日プレゼント。……大したものじゃないんだけどね」
仙台さんがシードルをごくりと飲み、ベッドの下から箱を取り出して座り直した。
「宮城。二十歳、おめでとう」
今日、何度も聞いたのに聞き飽きない言葉とともに、綺麗な青で包まれた箱を渡される。
「ありがと」
去年、私に“耳”をくれた仙台さんから渡されたものは、手のひらにのるくらいの“箱”で、なにが入っているのかわからない。
形は長方形。
重くはない。
もっと言えば軽い。
ネックレスが入っていてもおかしくないけれど、誕生日はネックレス以外のものを選んでほしいと伝えてある。だから、ネックレスが入っていてもおかしくない箱の中にネックレスが入っていることはない。
だとしたら、この中にはなにが入っているのだろう。
「あけてもいい?」
小さな声で聞くと、「今、あけないと駄目だから」とはっきりした声が返ってくる。
今、仙台さんはお酒を飲んだりしていない。
じっと私を見ている。
私は視線を落として、箱を見る。
ラッピングペーパーから中身を予想できるほどお店やブランドに詳しくはないけれど、箱を包む青はそういうものに詳しかったとしても中身を予想させないものだ。
「宮城、早く開けなよ」
急かすように言われ、箱を包む青い紙をゆっくりと剥がす。
破かないように剥がした紙を畳んでテーブルの上に置く。
箱をそっと開けて中身を見る。
「可愛い。……けど、これなに?」
革でできた長方形のもの。
革には犬の刻印。
犬はボルゾイに見える。
可愛いと言ったけれど、“お洒落”のほうが正確だと思う。
「キーケース。中、見てよ」
箱から出して長方形についているボタンを外して中を見ると、キーフックがついていて鍵をつけられるにようになっている。
「本当はさ、宮城が驚くようなものを渡したかったんだけど、なかなかそういうのなくって」
困ったように仙台さんが言って「普通のものになっちゃった」と付け加える。顔を見ると、頼りなさそうな表情をしていて思わず彼女の服を掴む。でも、自信がなさそうな声は止まらない。
「私も、宮城みたいにもっと特別なもの渡したかったんだけどね」
仙台さんの手が四つ葉のクローバーに触れる。指先が四つ葉を撫で、「これ、本当に嬉しかったから」と小さく言って私を見る。
仙台さんはわかっていない。
誕生日に“特別”はいらない。
誰もが経験するような誕生日。
仙台さんと過ごす今日は、そういうよくある誕生日がいい。
繰り返す毎日の中でその日だけを際立たせるような出来事は、そこだけが飛び出て抜け落ちてしまいそうで怖い。
「いちいち言わないとわからないみたいだから言うけど、嬉しくないプレゼントなんてないから」
掴んだままの仙台さんの服を引っ張る。
「そっか。ありがと」
「仙台さんがお礼言うの、変じゃん」
「そうかな」
「そうでしょ」
断言すると、仙台さんがくすりと笑って言った。
「そうだ、宮城。鍵貸して。つけてあげる」
「鍵? 部屋に戻って持ってこないとないけど」
「じゃあ、戻って持ってきて」
「今すぐ?」
「そう、今すぐ」
仙台さんがねだるように言って、誕生日で、今日の主役であるはずの私が譲歩することになる。
「ちょっと待ってて」
私はすぐに部屋へ行き、鍵を持って戻って来る。
そして、仙台さんの隣に座り、持ってきた鍵を渡す。
「……宮城。私たちってさ、ルームメイトじゃなくて“大事なものに住んでる人”でしょ?」
「仙台さんが、この場所が大事なものって言ったんじゃん」
「言ったけど、宮城にとってもここが大事なものってことでいいんだよね?」
仙台さんがキーケースを開き、柔らかな声で言う。
「……私だって、住んでる人だし」
「良かった。鍵ってさ、この家――大事なものに入るためのものでしょ。だから、宮城の誕生日プレゼントは、それを守れるものがいいかなって」
私が持ってきた鍵がキーケースにつけられる。
「宮城の鍵、このキーケースが絶対にずっと守るからずっと持ってて」
手のひらに押しつけるようにしてキーケースが渡される。
「言われなくてもずっと持ってる」
これはきっと、仙台さんが一生懸命考えて選んでくれたものだ。
キーケースというものは一度も持ったことがなかったけれど、悪くない。大事なものに入るための鍵は、考えるまでもなく大事にするべきものだ。そういうものを守るものは当然、大事なものだから、鍵もケースもなくすことは絶対にない。
「ありがと。じゃあ、宮城に一つお願い。私にも同じことして」
「同じこと?」
「これに鍵つけて」
そう言うと、仙台さんが革でできた長方形のものを取り出した。
それはどう見ても私のキーケースと同じもので、思わず「これって、私のと同じキーケース?」と問いかけることになる。
「同じだけど違う。よく見て」
仙台さんにキーケースを渡されて、革でできたそれに視線を落とす。
「……猫?」
私のキーケースについていた刻印は犬だったが、渡されたものには猫にしか見えない刻印がついている。
「そ、猫。可愛いでしょ」
「なんで仙台さん猫で、私が犬なの? 逆じゃん」
仙台さんはボルゾイ。
私が過去にそう言ったとき、仙台さんは私を猫だと言った。
「逆じゃない。宮城が私のこと犬って言ったから、犬のほうは宮城に持っててほしい」
「……いいけど」
ぼそりと答えると、鍵を渡される。
私はキーケースに鍵をつけて仙台さんに返す。
「ありがと。猫は私が大事にする」
仙台さんが頼んでいないのに私の耳もとで囁き、プルメリアのピアスにキスをする。
今日の仙台さんは勝手すぎる。
私の誕生日なのに、自分がしたいことばかりする。
「宮城も約束して」
柔らかな囁きが鼓膜をくすぐる。
自分勝手な彼女のお腹を押すと、宮城、と囁かれる。
約束をするのはかまわない。
でも、彼女の言う通りにするのはなんだか腹立たしくて、青いピアスに噛みつく。
「痛い」
「私の耳なんだから、なにしたっていいでしょ」
耳たぶを挟んだ歯から力を抜いて、舌先をくっつける。
舌を這わせて、柔らかく噛む。
脇腹を掴むと、「私も触っていい?」なんて馬鹿みたいな台詞が聞こえてきて耳から唇を離す。
「お酒飲むんじゃないの?」
「宮城のけち」
「今日はそういう日じゃないから」
「じゃあ、そういう日っていつ来るの?」
「仙台さん、今日はお酒飲む日なんだから黙って飲んで」
「まあ、今日一番大事なこと終わったしね。飲もうか。とりあえずキーケースはこっちに置いておくね」
仙台さんがそう言うと、キーケースを私の分も一緒にチェストの上に置いてくる。そして、グラスを手に取って残っていた液体を飲み干し、シードルを新たに注ぐ。
「宮城も飲みなよ」
肩をぶつけられ、美味しいかどうか微妙な液体に口をつけ、胃に流し込む。グラスを空にすると、新しい液体が注がれる。
「甘口、もう一本持ってきておくね」
いらない。
と、止める間もなく、仙台さんが立ち上がり、部屋から出て行き、テーブルの上に瓶が追加される。
「どんどん飲みなよ」
景気の良い言葉とともに、仙台さんがグラスに口を付ける。
「待って。仙台さん、飲んで大丈夫なんだよね?」
「どういう意味?」
「顔赤いから」
正しくは頬が赤い。
様子はそれほど変わらないけれど、頬の色は飲む前とまったく違う。
「宮城は変わらないね」
「飲むの、やめたら?」
「飲み始めたばっかじゃん。宮城も飲みなよ」
仙台さんが明るい声で言って、私の肩を叩く。
そして、まったく減っていない私のグラスにシードルを注ぎ、くすくすと笑った。
「こぼれそう」
仙台さんの声が部屋に響く。
いや、こぼれそうというのは間違っている。
もうこぼれている。
私はテーブルを拭いて、仙台さんの前からシードルの瓶をどける。
様子はそれほど変わらないなんて前言は撤回すべきだ。
彼女は今、妙に陽気になっている。
「宮城。誕生日っていいね」
満面の笑みで仙台さんが言う。そして、「もっと飲みなよ」と付け加える。
「そんなにたくさん飲みたい味じゃないし」
「飲みなって。美味しいよ」
そう言うと、彼女は断りなく私のグラスに入ったシードルを飲んだ。
「ねえ、仙台さん。大丈夫なの?」
「なにが? 美味しいよ」
「美味しいって、これ炭酸のほうだけど」
私のグラスに入っているシードルは彼女の苦手な炭酸だ。さらに言うと、彼女はいつの間にか三杯目を飲んでいてグラスの中身が炭酸になっている。
「炭酸も美味しいじゃん」
「そうかもしれないけど……。もう飲むのやめたら」
仙台さんからグラスを奪って彼女を見ると、「んー」という声とともに私に寄り掛かってくる。
重い。
体重が思いっきりかけられている。
「仙台さん、ほんとに大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないかも」
「え?」
「なんか、ふわふわする」
「ちょっと、仙台さん」
「お酒、おいしいんだけどね」
彼女の声は溶けかかっている。
私に体重をかけてくる体もふにゃふにゃで、軽く押すと反対側にばたりと倒れた。