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宮城に噛まれた首筋が痛い。

絶対に跡が残っていると思う。


でも、そんなことよりも甘かった舌先だとか、綺麗だった胸だとか、記憶に残っているそんなものの方が気になる。


もっとキスがしたかったし、触りたかったなんて言ったら、噛まれるだけではすまないだろうから言えないけれど。


「約束は守るから。冬休み、宮城の好きな日に呼んでよ。予備校があるからあんまり時間取れないけど、勉強教えにくるから。だから、そっち向いていい?」


とりあえず、後ろを向いていてという宮城の言いつけを守ったまま無難なことを口にする。


「絶対にやだ。こっち向いたら一生喋らない」


宮城が子どものように子どものようなことを言う。


「でも、確かめてほしいことがあるんだけど」

「確かめない」


強い声が後ろから聞こえてくる。


その声からは、私の言葉には絶対に従わないという意思を感じる。だからといってずっと宮城に背中を向けているわけにはいかないから、なるべく自然に振り向くことができそうな理由を告げることにする。


「宮城、思いっきり噛んだでしょ。跡残ってそうだし、ちょっと見てよ」

「やだ」

「見てくれないなら、跡残ってたときに学校で宮城に噛みつかれたって言うから」

「……どこ?」


学校で言う、という言葉に反応したのか、宮城が嫌々といった雰囲気を漂わせながらも尋ねてくる。


「ここ」


私は静かに宮城の方を向いて、噛みつかれた部分を指し示す。すると、ほんの少しだけ近づいてきた宮城が小さな声で「あっ」と言った。


「あ?」

「残ってる」


申し訳なさそうな顔はしていないが、声が暗い。


「やっぱり」

「でも、たぶん、すぐに消えるし、消えなくてもボタン留めれば見えないと思う」


そう言うと、宮城が私のブラウスのボタンを強引に一番上まで留める。


「見えてると思うんだけど」


宮城が噛んだ位置はあまり良くなかった。

ボタンを一番上まで留めても隠れないはずだ。


「明日の朝には消えてる」


どう考えても適当な答えに小さく息を吐く。


私は、留められたばかりのボタンを二つ外す。


そこまで暑いわけではないけれど、ボタンを一番上まで留めていると落ち着かない。そもそもボタンを留めていても跡は隠れないし、相手が宮城だけなら見えていてもかまわない。


「噛んでもいいけど、跡が残らない程度にしてよ」

「仙台さんのせいだから」


私を見ずに宮城が答える。


「まあ、そうだけどさ」


どう考えても、非は私にある。


宮城に責められても仕方がないと思う。

そして、私を見ようとしない宮城の気持ちもわかる。


けれど、この微妙な空気を引きずったまま勉強をするというのも落ち着かないし、夏休みの後よりも気まずい。自分の中にある邪な気持ちが居心地の悪さに拍車をかけている。


「そうだ。宮城に渡す物あるんだった」


停滞する空気に耐えられず、立ち上がる。

渡す物があるというのは嘘ではない。


私は鞄の中から片手では足りないけれど、両手になら収まるサイズの袋を取り出して、ベッドに座っている宮城に渡す。


「ちょっと早いけど、これあげる」

「……なにこれ?」

「見たらわかると思うけど」


赤と緑に彩られた袋は、赤いリボンが結ばれている。


この時期、このカラーリングを見てなにも浮かばない人はそういない。宮城だって、渡されたものがなにかわかるはずだ。


「クリスマスプレゼント?」

「そう。これのお返しも兼ねて」


ペンダントのチェーンを引っ張って、宮城に見せる。


「お返しはいらないって言ったと思うけど」

「覚えてる。でも、もう買っちゃったし。とりあえず開けてよ。いらないなら捨てていいからさ」


宮城が手の中の袋を穴が空くほど見つめてから、リボンをほどく。そして、中身を引っ張り出して眉根を寄せた。


どこか宮城に似ている黒猫のぬいぐるみ。


それは宮城が喜んでくれそうだとか、好きそうだとかそういうポジティブな理由で選んだものではない。どちらかと言えばネガティブな思考によるものだ。


随分と長い時間一緒にいるけれど、宮城に贈るプレゼントとして相応しいものが思い浮かばなかった。わかることと言えば大げさなものを贈れば突き返されるに違いないということだけで、結局、拒絶されてもあまりショックを受けずにすむものを選んだ。


もしかしたら、捨てられるかも。


そんなことも頭に浮かんだ。


宮城が贈りものを捨てるような人間だとは思わない。けれど、私に対して他の人と同じように接してくれるかどうかわからない。私が渡したものを捨てたりしないと思ってはいるが、自信がなかった。


「なんでぬいぐるみ?」


袋の中に閉じ込められていた黒猫を手のひらに乗せ、宮城がさして嬉しそうな顔をせずに言う。


「そのワニ、友だちがほしいんじゃないかと思って」


私は、床に置いてあるティッシュカバーを指さした。


「餌の間違いじゃなくて?」

「友だち、って言ったでしょ。食べさせないでよ」

「私、クリスマスプレゼントなんて用意してないからね」


宮城が床にぺたりと座って、ワニの背中に黒猫を置く。ワニから生えている白いティッシュがくしゃりと潰れ、黒猫のクッションのようになる。


私は黒猫が悲しい末路を辿ることなく、安住の地を見つけたことにほっとする。


「ペンダントのお返しも兼ねてるし、宮城からまたプレゼントもらったらややこしくなるから」

「それはプレゼントじゃない」


ペンダントを見ながら宮城が言う。


「はいはい」


私は背中に黒猫を乗せたワニを見る。


でも、どれだけ見ても友だちを得たワニが喜んだのかどうかわからない。そして、それ以上に宮城が喜んだのかわからなかった。


受け取ってくれたし、いいか。


クリスマスプレゼントなんて重く考えるようなものじゃない。なんとなくなにかを渡した方が良いような気がしただけだ。


私は頭を切り替えて、宮城の隣に座る。

すると、隣から小さな声が聞こえてきた。


「でも、まあ。……ありがと」


珍しくお礼を言われて、宮城をじっと見る。

けれど、彼女は私を見ることなくテーブルの上に教科書を広げた。


「勉強するから」


ベッドの上で起こったことがなかったことになったわけではないし、私と宮城の間には微妙な空間がぽかりと空いているが、気まずいだけの空気は消えている。それでも、お喋りを続けて余計なことを口にしてしまう危険を冒すくらいなら、静かに勉強をした方が良い。


私は教科書に視線を落とす。

けれど、すぐに隣が気になって宮城を見る。


手を伸ばそうとすると、宮城の周りの温度だけがほんの少し下がったように感じる。


今日はこれ以上のことを望まない方がいいし、口にしないほうがいい。


頭ではわかっている。

でも、頭と口の神経は途切れているらしい。


私は、こちらを見ようともしない宮城の二の腕をペンでつつく。


「ねえ、宮城。さっきの約束にもう一つ条件つけてもいい?」

「あれだけ好きなことしておいて、いいわけないじゃん。もう十分でしょ。冬休みなんてほとんど会う時間ないし、条件つけすぎ」


教科書から顔を上げた宮城がいくつも棘が生えた声で言って、消しゴムを投げてくる。


「冬休み、ここに来た日はキスさせて」

「条件言っていいなんて、一言も言ってないんだけど」

「いいじゃん、言うくらい」


転がっている消しゴムを手に取って宮城のノートの上に載せると、隣から小さな声が返ってくる。


「条件ってそれだけ?」

「そう」

「……やだって言ったら、勉強教えてくれないんでしょ」

「それはいいってこと?」

「よくはないけど、勉強教えるって約束守ってくれるんだよね?」


棘を二、三個追加した声で言って、宮城が教科書をめくる。


はっきりとした答えではないけれど、約束へのオプションは受け入れられたらしい。宮城が冬休みにこれほどこだわるとは思っていなかったから、少し驚く。聞き間違いかとも思う。


でも、聞き返したりはしない。条件の追加なんて許さないと宮城が言い出さないうちに「もちろん」と短く答えて、この話を締めくくる。


「勉強教えて欲しい日、連絡するから」


教科書を見ながら宮城が言う。


「いいけど、前日には連絡ほしいかな」

「わかった」


顔を上げずに宮城が言って、私はすっかり冷えてしまった紅茶を飲んだ。


Translation Sources

Original