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Chapter 128

手には紙袋が一つ。

中身は舞香と一緒に買ったものだ。

昨日、仙台さんとドリアを食べに行った後、彼女に渡そうと思ったけれど渡せなかった。今日もずっと迷っていて、夕飯を食べた今も渡せずにいる。


部屋の中をうろうろとして、本棚の前で息を吐く。

黒猫が私を見つめている。


どうしよう。


少し考えてから、私は部屋を出て共用スペースを見る。

仙台さんは部屋にいるらしく、姿は見えない。

カラーボックスの上に鎮座しているカモノハシを手に取って、ここに来てから初めて仙台さんの部屋のドアをノックする。


トン、トンと叩いて、三回目。

中から仙台さんの声が聞こえてきて、ドアが開く。


「どうしたの?」

「入れて。罰ゲームするから」

「今から?」


仙台さんが迷ったように言って、私が持っている紙袋とカモノハシを見る。


「今から。そんなに時間かからないし、部屋に私を入れるのが嫌ならこっちに来てよ」


部屋を出る前に見た時計は九時を回ったところで、もう遅いからと言うような時間じゃない。寝るには早いし、罰ゲームをする時間くらいある。


これからしようとしている罰ゲームは、それほど酷いものじゃない。ちょっとこの紙袋の中身を使うだけのことで、時間だってそれほどかからない。いうことを一つきくなんて簡単なことのはずだ。


「私の部屋でいいよ。入れば」


そう言うと、仙台さんがドアを大きく開く。私はお邪魔しますと言うべきか少し考えてから、黙って彼女の後について中へ入る。


ベッドに小さなテーブル。

本棚と机。


初めて入る仙台さんの部屋は、過去に見た仙台さんの部屋とは違う。本も本棚も少なくて、ベッドもパイプベッドになっている。見慣れるほど彼女の部屋に入ったことはなかったけれど、新しいこの部屋は仙台さんの部屋に思えない。違和感だらけで胸の奧がざわざわする。


「適当に座って」


仙台さんがベッドを背もたれにして座る。

私はどこに座ろうか迷って、彼女の隣に腰を下ろす。


「このカモノハシはなんなの」


仙台さんが私が抱えているティッシュカバーの頭をぽんっと叩く。


「ティッシュ」

「それは見たらわかる。罰ゲームに使うの?」

「たぶん」

「たぶんって。人になにをさせようと思ってるわけ」

「これが罰ゲーム」


私は持ってきた紙袋を仙台さんに渡して、カモノハシをテーブルの上に置く。


「なにこれ?」

「中見ていいよ」


そう言うと、仙台さんが紙袋を開けた。


「宮城、これ」


仙台さんがいつもより低い声を出して、眉根を寄せる。そして、紙袋の中身をテーブルに並べていく。


ピアッサー。

消毒液。

コットン。


それはすべてピアスを開けるためのもので、仙台さんがため息を一つついた。


「……こういうの、なしでしょ。いうことを一つきくっていう約束だけど、なんでもきくわけじゃないから」

「でも、ピアスは駄目ってルールは作ってないよね?」

「確かに作ってないけど、普通に考えて体にずっと跡が残るような傷をつける罰ゲームは駄目に決まってる」


仙台さんは怒ってはいないが、声は呆れたようなものになっている。でも、こういう反応が返ってくることは予想していた。

私はテーブルの上からピアッサーを手に取って、仙台さんに無理矢理渡す。


「駄目じゃない。ピアス開けてよ」

「宮城が良くても私は嫌だから」

「別に仙台さんがいいか悪いかはどうでもいい。ピアスするのは私だし」

「……え?」

「え、じゃなくて。それ、私にピアス開けるためのものだから。仙台さんがそれ使って、私にピアス開けてよ」


仙台さんの耳にピアスをしたいと言っても絶対に断ってくると思っていたから、それでも約束を留めておける方法を考えた。


答えはすぐにでた。

自分に約束を留めておけばいい。

私の体なら私の自由にできる。


仙台さんだって、自分の耳にピアスを開けるという命令でなければいうことをきいてくれるはずだ。


「罰ゲームって、するの私だよね?」

「そう。だから、私のいうこときいてよ。これ使って私の耳にピアスをつけるだけだから簡単でしょ」


私は仙台さんに渡したピアッサーを指さす。


「おかしくない?」

「おかしくない」

「宮城、ピアスしたかったの?」

「したくない。痛いの嫌いだし、ピアスとか興味ないもん」


本当はしてもしなくてもどうでもいいものだけれど、したくないと強く印象づける。


「じゃあ、なんでピアスするの?」

「仙台さんが約束忘れないように」

「意味わかんないんだけど。……どういうこと?」


家庭教師をはじめれば、簡単に動かせなくなる予定ができるということはバイトをしていない私でもわかる。そして、私との約束は簡単に動かせるもので、後回しにしてもいいものだということもわかっている。


我が儘だとわかっているけれど、約束を後回しにされるのは面白くないし、家庭教師をするにしてもしないにしても約束は忘れられたくない。

だから、私は自分を使って約束にほんの少し重みを加えることを選んだ。


「人の体に穴を開けるようなことをしたら、今日のこと忘れないでしょ。私を見るたび、私とした約束を思い出しなよ」


覚え続けられることには限りがあって、あったことすべてを覚えていられるわけじゃない。でも、それなりに印象的な行為をすれば記憶に残り続ける。約束を破ってはいけないということも、ピアスをつけるという行為とセットにすれば簡単には忘れないはずだ。だから、ピアスは仙台さんが私の耳につけなければいけない。


「それで、約束を破ったことを思い出して反省すればいい」

「それ、本気で言ってるの?」

「言ってる」

「自分で開けなよ。嫌がる宮城に無理矢理ピアスするみたいでやなんだけど」

「駄目。仙台さんはピアスしたくもない私の耳に穴を開けて、後悔すればいい。悪いことしたなって」


仙台さんの罪悪感が少しでも大きくなればと思う。

嫌だと言う私に無理矢理穴を開けてピアスをつけた。

そう強く記憶に刻みたい。


「――私、これ使ったことないからね」


仙台さんがため息交じりに言って、ピアッサーのパッケージを開ける。そして、中から説明書を出して読み始める。


「仙台さん、茨木さんとかに開けたことないの?」

「ない。みんな自分で開けてたし、宮城が初めて」


何度もしたことのある行為じゃないことにほっとする。

初めてであれば、もっと印象的な行為になるはずだ。


私は一応、仙台さんに手順を説明する。

消毒をして、印を付けて。

説明書に書いてあることとほとんど同じだと思うけれど、一通り調べてきたことを告げる。


「消毒からね」


そう言うと、仙台さんが私の髪を耳にかけて手順通りに消毒する。そして、確かめるように耳たぶを引っ張った。


「触ったら消毒した意味ないじゃん」


仙台さんの腕をぺしんと叩く。

でも、彼女は手を離してくれない。

私の耳を触り続ける。


「くすぐったいんだけど」

「穴が開く前に、今の宮城の耳を堪能しておこうかと思って」


そう言うと、仙台さんが耳たぶを触っていた手を滑らせた。指先が耳の裏を撫でて、首筋を這う。

くすぐったさが増す。

指先だけだったはずが手のひらまで首に押しつけられて、体温が流れ込んでくる。仙台さんとの距離が近づいたような気がして、私は彼女の肩を押した。


「もう一回消毒してよ」

「わかった」


そう言うと、仙台さんが濡れたコットンで私の耳を拭ってペンを持つ。

消毒液のせいか、耳がスースーする。


「ピアス、どこにつける?」

「どこでもいい」

「じゃあ、勝手に決めるよ」


仙台さんが少し迷ってから、ペンで私の耳たぶに印を付ける。そして、ピアッサーを手に取った。


「ほんとにいいの?」

「いいよ」


痛い。

絶対に痛い。


舞香は思ったよりも痛くなかったと言っていたけれど、太い針が耳たぶを貫通するのだから痛くないわけがない。しかも、どれくらい痛いか予想できないから怖い。


私はぎゅっと目を閉じる。

でも、いつまで待っても痛みはやってこない。


「仙台さん、まだ?」


目を開けて尋ねる。


「いや、本当に私がしてもいいのかなって」

「してって言ってるじゃん」

「ほんとに開けるよ」


珍しく不安そうな声で仙台さんが念を押すように言う。


「仙台さん、しつこい。早くしてよ」


怖いじゃん。

という言葉は飲み込んでおく。


「じゃあ、いくよ」


言葉とともに、ピアッサーが耳に触れる。

目を閉じてぎゅっと手を握りしめると、バチンッとそれなりに大きな音が鼓膜に響いて耳に痛みが走る。けれど、痛みは一瞬で思ったよりも痛くはなかった。それよりも、耳たぶがじんじんすることが気になる。


「こっちも開けるよ」


コットンが押しつけられて、また耳がスースーする。

今度は目を開けて、仙台さんを見る。

いくよ、という声の後、さっき聞こえたバチンッという音がまた響いて痛みが走る。

仙台さんが息を吐いて、テーブルの上に使い終わったピアッサーを置く。


「大丈夫?」


そう言いながら、仙台さんがピアスをつけた耳を消毒してくれる。


「すごく痛かった。今もなんか耳がじんじんしてる」


それほどでもなかった痛みを大げさに伝えて、耳を触ってみる。指に小さくて丸い物が当たって、耳の裏にも今までなかったものがある。


「見てみる?」


はい、と仙台さんから手鏡を渡されて、私は自分の耳を映す。


小さな銀色の飾り。


舞香とお揃いではないけれど、よく似たピアスがついている。今までなかった飾りのせいで、自分がいつもとは違って見える。


「変な感じ」


耳をもう一度触って鏡から視線を外すと、私を見ていたらしい仙台さんと目が合う。


「似合ってる」


本気で言っているのかわからないけれど、そう言って仙台さんがにこりと笑った。


Translation Sources

Original