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Chapter 129

仙台さんはときどき、嘘か本当か判断できないことを言う。

だから、私のピアスを見て言った「似合ってる」という言葉が本当かどうかわからない。笑顔は本心を隠すだけのものに見えて、信用できない。


私は仙台さんに返す言葉が見つからなくて、ピアスを触って指先を見る。


「血、少しくらいは出るのかと思った」


ピアスをつけたばかりの耳を触っても指に血はついていない。どういう理屈かわからないけれど、耳に穴を開けても血はほとんど出ないらしい。


「もしかしてこのカモノハシって、血が出たとき用だったの?」


仙台さんがテーブルの上からティッシュを生やしたカモノハシを取って、頭をぽんぽんと叩く。


「一応」


ピアスの開け方を調べているときに血はほとんど出ないと書いてあったし、舞香もほとんど出なかったと言っていた。それでもなにかあったらと思ってティッシュを持ってきたけれど、意味はなかったらしい。


「宮城って結構怖がりだし、心配性だよね」


仙台さんがカモノハシの手をぴこぴこと動かしながら言う。


「怖がりじゃないし、心配性でもない」

「穴開けるとき、びくびくしてたじゃん」

「仙台さんの方が不安そうだったじゃん」

「まあね。真っ直ぐ開けないと良くないって言うし」


仙台さんの視線がカモノハシから私の耳に移る。そして、黙り込む。


「なんで急に黙るの」

「耳、触ってもいい?」


いいと言っていないのに手が伸びてきて、私はその手を叩く。


「駄目。ピアスしてすぐに触るの良くないって言うから」

「宮城、さっき触ってたじゃん」

「あとから消毒するからいいの」

「どうせ消毒するなら、私が触ってもいいでしょ」

「良くない。大体、なんで仙台さんに触らせなきゃいけないの」

「ちゃんとピアスついてるかよく見たいし、ピアスに触らないならちょっとくらい耳触ってもいいでしょ」

「確かめなくても真っ直ぐ穴開いてるし、ちゃんとなってるから、仙台さんは見なくていい」


触って確かめるまでもない。

鏡を見ただけで真っ直ぐピアスがついているとわかる。

確かめたいだなんて、良くないことをする口実だとしか思えない。いつだって仙台さんは、油断すると変なことをしてくる。


「宮城、知ってる?」


耳を触ることは諦めたのか、仙台さんがやけに優しい声を出す。


「なに?」

「ピアスって穴を開けるときより、開けたあとのほうが痛いんだって」

「調べたし、知ってる」

「そっか」


仙台さんがカモノハシを床に置いて、私の右手を掴む。思わず右腕を引くと、結構な力で引っ張り返されて耳たぶよりも上に温かいものが触れた。


手首に仙台さんの指が食い込む。

少し痛い。

でも、それよりも耳が気になる。触れているのは仙台さんの唇で、久しぶりに感じる感触は少しくすぐったくて気持ちがいい。さっきよりも鼓動が速い。


仙台さんのせいだ。


唇が離れて、今度は強く押しつけられる。

耳が熱い。

私は左手で仙台さんの肩を思いっきり押す。


「急に変なことしないでよ。ばい菌入るじゃん」

「ピアスしてないところだから大丈夫でしょ。それに変なことじゃなくて、痛くなくなるおまじないだから」


仙台さんが過去に何度か聞いたことのある言葉を口にする。彼女が勝手に作ったそれは、言い逃れに過ぎない。騒ぐほどの痛みではないけれど、おまじないをした今も耳は痛いままだ。


「そんなことで痛くなくなったりしないし」

「即効性のあるおまじないじゃないから」

「仙台さん、適当なこと言うのやめなよ」

「私のおまじない、効果あるって知ってるでしょ」


正しい答えが書ける。

仙台さんはそう言って“おまじない”をした。


ただ、そのおまじないの効果で私が大学に合格したのかはわからない。いや、普通に考えればおまじないのおかげじゃない。私が勉強をしたからだ。そして、仙台さんが勉強を教えてくれたからで、おまじないと称したキスは関係がないと思う。


「おまじないって、仙台さんのしたいことしてるだけじゃん」

「じゃあ、宮城のしたいことは?」

「仙台さんがしたいことじゃないこと」

「おまじないはしたくない。――って言えば、宮城がおまじないしてくれるってこと?」

「そういうことじゃない」

「それなら、私におまじないされときなよ」


仙台さんが掴んだままの私の手を引っ張る。体が傾きかけて、手首に張り付いている彼女の手を無理矢理剥がす。


「ちょっと仙台さんっ」


剥がしたはずの手が私の肩を掴む。

仙台さんが近づいて、耳の上の方に唇が押しつけられた。


ここに来てから、一番距離が近い。


一緒に住むようになってからこんな風に私の体の一部に仙台さんの唇がくっついたことはなかったし、そうならないようにしていた。もっと言えば、ルームメイトらしい位置を探す努力をしていた。でも、今はそういう努力を無にするくらい仙台さんが近くにいて、私に触れている。


「宮城」


耳元で名前を呼ばれる。

息が吹きかかってくすぐったい。

唇がまた押し当てられて、そこが温かくなる。


近すぎる。

離れた方が良いと思う。

けれど、仙台さんをさっきのように押し離すことができない。


唇とは違うものが触れる。それは舌先で、耳が湿る。言葉通り、ピアスには触れてこない。気を遣ってくれているのだと思う。


舌が動くと、ぞわぞわする。

くすぐったくて、気持ちが悪い。


皮膚の表面を撫でるように舐められて、息が喉で止まる。気持ちが悪いよりも良いような気がしてきて、私は息を一気に吐き出して彼女の肩を押した。


「ちょっと、仙台さんっ。離れて」


両手に力を入れると、入れた分だけ仙台さんが離れる。ルームメイトと言うにはまだ少し近いような気がするけれど、耳にキスをできるような距離ではなくなる。私は、彼女の近くに置いてあったカモノハシからティッシュを一枚取って耳を拭う。そして、カモノハシで仙台さんの太ももを叩いた。


「いたっ」


仙台さんが大げさに痛がる。


「変なことしないでって言ってるじゃん。大体、ルームメイトはこういうことしない」

「ルームメイトだっておまじないくらいはするでしょ」

「こういうおまじないはしない。仙台さんは、ちゃんとルームメイトらしくして」

「だって、宮城が――」


仙台さんが言いかけてやめる。


「私がなに?」

「……ピアスしてなんて言うから」

「言ったけど、それ以上のことをしてとは言ってない」


私は仙台さんをもう一回カモノハシで叩く。


「痛い」

「私の方が痛い。消毒もう一回して」


仙台さんにコットンと消毒液を渡す。

彼女は黙ってそれを受け取ると、コットンに消毒液を浸す。そして、ピアスの上からコットンを押し当てた。


すぐに両耳が拭われて、コットンが離れる。

濡れた耳はひやりとしている。

仙台さんの唇とも舌とも違う。

彼女が触れたときはもっと熱くて――。


私は消毒したばかりの耳を触りかけて、手をぎゅっと握りしめる。


「もう部屋に戻るから」


ピアッサーに消毒液、コットン。

全部紙袋に入れて、それを持って立ち上がる。すると、仙台さんが私の服を引っ張った。


「宮城」

「なに?」

「さっきも言ったけど、ピアス似合ってる。可愛いと思うよ」

「お世辞は言わなくていい。こんなのデザインとか関係ないヤツじゃん」


ピアッサーについていたピアスは開けた穴を安定させるためのもので、デザインよりも材質で選んだ。医療用のステンレスでできたそれは、仙台さんが可愛いというほどよくできたデザインじゃないと思う。


「ほんとに可愛いって思ってるんだけど」

「そういうのいいから」


仙台さんに背を向ける。

一歩、二歩と足を進めたところで、また声が聞こえてくる。


「待って。これは?」


振り向くと、仙台さんがカモノハシのカバーがついたティッシュを持っていた。


「それ、仙台さんの部屋に置いといてよ」

「ティッシュあるんだけど」


私は彼女のところまで戻る。仙台さんからカモノハシを受け取って、ティッシュからカバーを外してカバーの方を仙台さんに差し出す。


「はい」

「私の部屋のティッシュにつけろってこと?」

「なにかついてた方がいいから。つけないなら、またこっちにつける」

「つけとくから貸して」


仙台さんが私からティッシュカバーを受け取って、「あともう一つ」と付け加える。


「なに?」

「ゴールデンウィーク、空いてる日ある?」


まったく予想していなかったことを聞かれる。けれど、頭の中のカレンダーをめくるまでもなく答えることができる。


「あるけど、絶対やだ」

「まだなにも言ってない」

「どうせ出かけようとかそういうのでしょ」

「まあ、そうだけど」

「他のことなら考える」


仙台さんとは趣味が合わない。と言っても彼女の趣味がなにかよく分からないけれど、付き合う友だちも大学も違う私たちは重なる部分がほとんどない。映画だって観たいものが違っていた。出かけるより、一緒に家にいた方がいいと思う。


「じゃあ、どこか空けといてよ。なにか考えておくし」


ティッシュという土台を奪われてくたりとしているカモノハシの頭をぺしぺしと叩きながら、仙台さんが言う。


「わかった」


彼女にもう一度背を向ける。

ドアを開けると、おやすみ、と声をかけられて、私は「おやすみ」と返した。


Translation Sources

Original