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Chapter 138

「宮城、痛い」


予想していなかった痛みに体が固まる。

骨を砕くつもりかと思うほど強い力で噛みつかれているから、こめかみまで疼く。


「痛いってば」


人質に取られた指を返してもらうべく宮城の肩を叩くが、指は解放されない。笑ってほしいというささやかな願いは、痛みに変換され続けている。


宮城が加減しないのはいつものことだけれど、今日は特に痛い。なにがそうさせているのかわからないが、馬鹿みたいに強く噛まれている。

痛くて、熱くて、くらくらする。


「宮城っ!」


バンッと音が鳴るほど強く彼女の肩を叩く。けれど、指は噛まれたままで、今度は彼女のピアスに触れる。本当はそのままピアスを引きちぎってしまいたいほど指が痛いけれど、軽く引っ張るだけにする。柔らかな耳たぶが伸びて、指を挟んでいた歯が緩む。そのまま指を引くと、すんなりと歯が離れた。


「人の指、食べるのやめなよ。ハンバーグじゃ足りなかった?」


宮城に噛まれた指には、くっきりと歯形がついている。デザート代わりに食べようと思ったと言われたら信じてしまいそうなほど痛かったし、今もまだ痛い。


「食べるならもっと美味しいもの食べる」


宮城が平坦な声で失礼なことを言ってティッシュを数枚取ると、私の指を乱暴に拭った。ずきりと指が痛む。


「笑わせたかったら、笑いたくなるような面白いこと仙台さんがしてよ」


膝から落ちた辞書を机の上に戻して、宮城が私を見た。


「なにしても笑わなそうだからやめとく」


ズキズキと痛む指をさする。宮城から与えられる痛みに慣れていても、眉間に皺が寄る。


「笑わなくてもいいなら、最初から変なことしなければいいのに」

「そう思う。笑いたくない人間を笑わせようとした私が馬鹿だった」

「わかったなら、仙台さんが代わりに笑いなよ」


宮城が私の唇の端に指を押し当てる。そして、私がしたように口角を上げようとしてくる。頬を上げるようにぐいぐいと動かす指が荒っぽくて、私は彼女の手を払いのけた。


「あのさ、なにがしたいわけ? さすがにむかつくんだけど」

「なにって――」


そこで宮城の言葉が途切れる。

視線が私の指に注がれる。

それは噛みつかれた指で、嫌な予感に手を引っ込めようとするが間に合わない。歯形がついた指が宮城に捕まる。


「痛いから離して」


ぎゅうっと掴まれた指を自分の方へ引く。でも、指は離されるどころか引っこ抜く勢いで引っ張られて、私は痛みに負けて宮城に近づいた。


「なんなの、一体?」


体が傾いたまま尋ねるけれど、宮城は答えない。


「したいことがあるなら言いなよ」


強く言うと、宮城が指を離した。

代わりにブラウスの襟を引っ張られる。

宮城が私に顔を近づけてきて、吐き出す息が交わる距離でぴたりと止まる。

言葉はない。

目が合って、そらされる。

宮城が掴んでいたブラウスの襟を離して、今度は私の方から宮城の腕を掴んだ。


「続きは?」

「続きなんてない」


私の手を振り払って、宮城が自分から詰めてきた距離の分だけ離れていく。


「ないなら作りなよ」

「仙台さんは……」


宮城がぼそりと言って、やっぱり言葉が途切れる。


「ちゃんと最後まで言ったら?」

「――仙台さんはしてほしい続きがあるの?」

「あるって言ったらどうする?」

「あるなら、私にお願いしてよ。そしたらしてもいい」


ずっとズキズキと痛かった指から痛みが消える。

宮城の手を握る。

逃げ出さないけれど、私を見たりもしない。

今、宮城がしようとしたことの続き。

意識をしただけで噛まれた指がすごく熱くなったような気がして、小さく息を吐く。


「じゃあ、キスして」


私を見ようとしない宮城に告げる。


「それはお願いじゃない」

「キスしてください。――これでいい?」

「いいよ」


そう言うと、宮城が私に近づいてくる。

でも、唇が触れる前に宮城が動きを止めた。握ったままの手が離れそうになる。

こういうとき、宮城は意気地がない。してくるのはいらないことばかりで、そういうことは全力でしてくるのに肝心なときに怖じ気づく。


「お願いしたらするって自分で言ったんだから、ちゃんとしなよ」


私は宮城が逃げだしてしまう前に約束を果たすように念を押して、目を閉じる。

宮城の気配が近づく。

強く手が握り返されて、唇が触れる。

軽く、体温も感じられないくらい一瞬。

キスをして宮城が離れる。


目を開けると、警戒するみたいに宮城が私から少し距離を取った。そういう態度は面白くない。今のキスで約束を守ったなんて言わせたくない。


「もう終わり?」

「終わり」

「もう一回しなよ」

「やだ。仙台さん、変なこと考えてそうだもん」


握っていた手が振りほどかれる。

そのくせ、隣からいなくなったりはしない。

少し遠くなった分だけ近づいても逃げずに隣に座っている。

宮城が普段と違って調子が狂う。

いつもなら、野良猫みたいに毛を逆立て私を近寄らせないはずだ。


「……宇都宮は元気?」


このまま黙っていたら部屋に戻ると言って出て行ってしまいそうな気がして口を開く。でも、今日の宮城とどんな話をすればいいのかわからなくて、話題を数少ない共通点から探し出すことになる。


「元気だけど」

「ここに連れてくれば」

「なんでここに舞香連れてくるの」

「友だちでしょ。呼べばいいじゃん」

「呼ばない」


予想通りの答えが返ってきて、なんとか探し出した会話があっさりと打ち切られる。


まあ、本当に呼ばれても困るけれど。


ただ、大学での宮城がどんな感じなのか聞いてみたいとは思う。きっと、彼女は私の知らない宮城をたくさん知っている。私も宇都宮が知らない宮城を知ってはいるけれど、どこまでが彼女の知らない宮城かははっきりとわからない。


「宮城」


会話の糸口を探しながら、隣を見る。


「宇都宮とキスってしたことある?」


宮城が怪訝な顔をする。

でも、知りたいと思う。

宇都宮が宮城の唇の柔らかさを知っているのかは気になる。


「仙台さんって友だちとキスする人?」

「しないけど」

「私もしない」


友だちとはキスをしない宮城が今、私とキスをした。それは私がルームメイトであっても、友だちではないからだ。ずっと友だちではなかったけれど、それで良かったのだと思う。


私は宮城の頬に触れる。

顔を寄せても嫌がらない。

目は閉じてくれないから、自分から閉じてキスをする。

繰り返し何度も、唇の柔らかささえよくわからなかったさっきの分もキスをする。

閉じられた唇を割って、舌を差し入れて、深く。

宮城にキスをする。


同じくらいの体温が混じり合って、舌先が触れ合っても大人しくしているから嫌がってはいないのだと思う。人の体の中、友だちなら触れないような場所に触れていると、もっと宮城のことを知りたくなる。指を噛まれたときも舌が当たったし、体温も感じた。でも、痛いだけで気持ちは良くなかった。今は酷く気持ちが良くて、ずっとこのままキスをしていたくなる。


体重を宮城に預ける。

そのまま押し倒そうとすると、肩を思いっきり押されてまた距離が離れた。


「仙台さん」


不機嫌ではないけれど、機嫌がいいわけでもない声で呼ばれる。


「なに?」

「……バイト辞めてよ」


キスをした後とは思えない言葉とともに、噛まれた指をぎゅうっと強く掴まれる。痛くて、上がりかけた体温が下がる。


「なんで?」


宮城からバイトを辞めろと言われる理由はない。

働くのは私だし、宮城には迷惑をかけていないはずだ。もちろん、これからもかける予定はない。

私は宮城をじっと見る。

でも、彼女は難しい顔をして黙ったままだ。


「今辞めたら迷惑がかかるし、バイト結構気に入ったから無理」


コンビニや飲食店でバイトをするよりも、家庭教師の方が向いている。なによりも時給がいい。短い時間でバイトが終われば、家にいる時間も長くなる。


「そんなことわかってる」


宮城が掴んでいた私の指を離す。


「じゃあ、なんで辞めてなんて言ったの」

「なんとなく言っただけ」


ぼそりと言って、宮城が私の手を握った。

やっぱり変だ。

いつもと違う。

バイトを辞めろと言った理由を知りたいけれど、聞けば絶対に宮城は部屋に戻ってしまう。繋がった手は心地良くて、離したくない。だから私は、なにも言わずに手を握り返した。


Translation Sources

Original