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Chapter 139

仙台さんに悪いことをしたと思っている。

反省もしている。

でも、あれから一週間近く経ったのに絆創膏をしているのはどうかと思う。


「それ、いつまでしてるの?」


私は仙台さんの指に視線をやってから、彼女が用意したトーストを囓る。バターとジャムを塗ったそれは甘さと塩気のバランスが絶妙で、朝食の定番となりつつある。


「絆創膏のこと?」


高校生の頃、唐揚げを作ると言い出した仙台さんにキャベツの千切りを頼まれて指を切った。あのとき血が流れ出る私の指に、機能性を優先した可愛さの欠片もない絆創膏が彼女によって貼られた。私が噛んだ彼女の指には、あれと同じものがずっと巻かれている。


「そう」

「んー」


小さく唸ってから、仙台さんがオレンジジュースを飲む。

彼女がハンバーグを作ってくれた夜、加減をせずに噛んだ指には歯形がついた。跡が残ってもおかしくないと自分でも思ったけれど、こんなに長い間消えないなんてあり得ない。


「跡なんてもう消えたよね?」

「どうかな」


いつもと変わらない声で言うけれど、仙台さんは私を見ない。今日はときどきある目を合わせてくれない日で、それがまた私を苛つかせる。そして、こんな些細なことで苛つく自分に落ち込みそうになる。


「その絆創膏取ってよ」


本当は彼女の手を掴んで指に巻いてある絆創膏を剥がしてしまいたいけれど、トーストを囓って我慢する。

彼女が本気で怒らないからといって、なんでもしていいわけじゃない。していいことと、いけないことくらいはわかる。他人の手を掴んで、無理矢理なにかすることはいけないことだ。


「さっき貼ったばっかりだから勿体ない」

「それ貼ってるのって、嫌味かなにか?」

「嫌味? なんでそう思うの?」


仙台さんが不思議そうな声を出す。


「噛んだの、怒ってるんでしょ」


言い方がきつくなって、誤魔化すようにスクランブルエッグを口に運ぶ。

仙台さんとだけ上手くいかない。

もう少し普通にしていたいけれどできない。


大学を卒業するまで一緒に暮らすのだから、舞香といるときのように穏やかな気持ちでいたいと思っている。でも、それは叶わない。良くないとわかっていても仙台さんには酷いことをしてしまうし、一緒にいると感情が制御できなくなることがある。どんな人とでも仲良くできるわけではないけれど、今までどんな人といても噛んだり蹴ったりなんてしたことがないのに、彼女にだけはしてしまう。


「あんなこといつものことだし、今さら怒るわけないじゃん」

「嘘ばっかり」


力一杯噛んだけれど、そんなことで仙台さんが怒らないことは知っている。でも、指に巻かれた絆創膏を見るたびに自分がしたことを思い出して胸の奥が痛くなって、いらない言葉が口から出てしまう。


あんなに強く噛まなければ良かった。

バイトを辞めてだなんて言わなければ良かった。


そんなことばかりが頭に浮かぶ。

バイトを辞めてと言っても辞めてくれないだろうことは予想できていたし、実際辞めてくれなかった。仙台さんは家庭教師を続けていて、時々生徒の話を私にする。


彼女は私の言葉に従ってくれるときと、そうじゃないときがある。どういう線引きでそれが決まっているのかは知らないけれど、絶対にきいてくれないものがある。


ピアスは駄目で、バイトも駄目。


開けてと言っても、辞めてと言ってもきいてくれない。そもそも、仙台さんは私の言葉で変わったりしない。


「宮城。朝から機嫌悪いのやめなよ」


仙台さんが平坦な声で言って、トーストを囓る。


「機嫌は悪くない」

「機嫌“は”悪くないなら、なにが悪いの?」


私はどこも悪くない。

悪いのは仙台さんのバイトだ。

バイトが家庭教師じゃなかったらいいのにと思う。

他のバイトだったら許せた。


「ちょっと言い方が悪かっただけじゃん。揚げ足取るの、性格悪いと思う」


私は言いたいことの代わりにオレンジジュースを半分飲んで、グラスをテーブルの上に置く。


「そうだ。わかってると思うけど、今日バイトだから遅くなる。ご飯は先に食べてて」

「わかった」


仙台さんから告げられた週二回のうちの一回、覆らない予定は私を鬱々とした気持ちにさせる。家庭教師という言葉を聞くと、去年の夏を思い出さずにはいられない。私に勉強を教えると言い出した仙台さんと二人で過ごした。


あのときと同じことが起こることはないと思っているけれど、夏休みに繋がっている家庭教師という言葉を聞くたびに、仙台さんに聞きたいことがいくつも湧き出てくる。


私と勉強をしたときのように隣に座っているのか。

手を握ったりするのか。

――友だちにはキスをしないと言っていたけれど、生徒にはキスをするのか。


知りたいことはいくつもあって、心の中で整理できないことがいくつかある。そのうちの一つである大学が違うことは、仕方がないこととして処理できないこともない。過去や現在の自分と繋げて、どういう風に大学で過ごしているか想像して補ったっていい。ずっと受け入れることができなかったけれど、今はそう思っている。


でも、家庭教師のバイトは別だ。


私の過去に強く結びついていて、容易にできる想像が受け入れがたい。夏休みや放課後に二人で過ごした時間と比べたくなる私がいる。

バイトなんていくつもある日常の一つで、私が気にするようなことじゃない。気になっていても、バイトが始まってしまえば受け入れることができると思っていたけれど、違った。


家庭教師をしている仙台さんを想像すると、意識が過去へ向かう。

家庭教師だと言って私に勉強を教えてくれた彼女と、今バイトで家庭教師をしている仙台さんは違う。同じわけがない。そんなことはわかっているのに、どう違うのか知りたいし、知りたくない。


こんなのは変だ。


仙台さんに聞いたって、普通の答えしか返ってこない。あの頃と今を比べてしまうことがいかにおかしなことかということは理解している。


わかっている。

でも、気になるから落ち着かない。


こんな気持ちは、仙台さんが作ったハンバーグを食べたときのように飲み込んで、消化してしまいたい。そう思うのに、ずっと私の中に残り続けていて気分が悪くなる。


「宮城。私、そろそろ行くから」


お皿を空にした仙台さんが、グラスに残ったオレンジジュースを飲み干す。


「待って。絆創膏、取ってから行って」

「まだ気にしてるの?」


本当はもう絆創膏なんてどうでもいい。

なんとなく仙台さんを引き留めたいだけで、でも、引き留める理由が思い浮かばなかった。


「指がどうなってるか見せてよ」

「見たってただの指だけどね」


仙台さんが面倒くさそうに言って、はあ、と息を吐く。

そして、絆創膏を剥がした。

少しふやけた指は、白くて綺麗で傷一つない。

絆創膏をする必要がどこにもない指をしている。


「跡ついてないじゃん」

「絆創膏してるうちに消えたのかも」


仙台さんが適当なことを言って、指をさする。そして、合わせてくれなかった目で私を見てにこりと笑った。


最近の彼女はよく私に笑顔を向ける。

でも、そういう仙台さんは本当の仙台さんじゃない。夏休みに一緒に映画を観に行ったときの笑顔を貼り付けた仙台さんと重なる。そのせいか、笑ってばかりいる彼女を見ていると不安になる。


私はピアスに触れる。

できることなら、バイトを辞めるという約束を取り付けてピアスで縛りたい。けれど、ピアスはただのアクセサリーで、カボチャを馬車に変えたり、願いを叶える魔神が出てくるランプのような力はない。日常の小さな約束と仙台さんを結ぶ気休めのようなものだ。それに約束をしたところで絶対なんてない。


「宮城、後片付け頼んでいい?」

「いいよ」

「ありがと。今日、早く大学行きたいから」


仙台さんが立ち上がって、部屋へ戻る。

私はトーストを囓る。

甘くて、塩っぽくて美味しくない。

今日帰ってきたら、また美味しくない夕飯を一人で食べることになる。考えると胃の辺りが痛くなって、今日一日が上手くいかないような気がした。


Translation Sources

Original