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Chapter 143

スカートを返していなかった。


脱衣所でそんなことに気がついたけれど、今から仙台さんの部屋に戻ろうとは思えない。私は服を脱いで、鏡に映った自分を見る。

跡が一つも残っていない体から、仙台さんが私のいうことをきいてくれたことがわかる。


首筋を撫でる。

なにも残っていないはずなのに、跡が残っていそうな気がする。首だけじゃない。仙台さんが唇をつけた場所すべてになにかが残っているようで、他のことを考えたくても上手くいかない。


仙台さんの声、息遣い、手の感触。


さっきまで感じていたすべてが頭の中に残っていて、思考の大半を奪っている。これから数時間、いや、もっと。数日、一週間。どれくらいかわからないけれど、彼女のことばかり考えそうで嫌だ。私の時間に割り込んでこないでほしいと思う。仙台さんを許したらどんなことになるのかはわかっていたけれど、こんなにも仙台さんで埋め尽くされるなんて聞いていない。


私は小さく息を吐いてから、下着を脱いで浴室に入る。

浴槽にお湯がないことに気がついて、シャワーからお湯を出す。


「つめたっ」


出てきているものは明らかに水で、私は慌てて足を濡らすものを止めた。五月にしては暑い日だと言っても、浴室で水浴びをするつもりはない。頭は冷やした方がいいかもしれないけれど、体から熱は引いているし、乱れていた呼吸も整っている。


こんなのは平気だ。

大丈夫。


私は静かに息を吸って吐く。

今日は夏休み最後の日とは違って、区切りになるような日じゃない。記憶に残る出来事だったけれど、去年の夏のように日付まで覚えているようなことにはならないはずだ。


でも、言い逃れはできないと思う。

あの日は、勢いでとか、気まぐれでとか後から言い訳ができるシチュエーションだった。冬休みの前には胸を見られたけれど、あれは勉強を教えてもらうという交換条件の先のものだ。冬休みに自分から仙台さんに触れたことも言い訳しようと思えばすることができる。


今日は勢いでも気まぐれでもなく、交換条件もなかったのに断るという選択肢を選ばなかった。なにをするのかわかっていて、許すと決めた。

すっきりとしないけれど、それは自分で決めたことだからいい。


ただ、自分の変化に驚いた。

あんな声がでるとは思わなかったし、あんな風に体が反応するとは思わなかった。


そして。

――あんなに気持ちがいいとは思わなかった。

全部わかっていると思っていたけれど、本当にはわかっていなかった。


私は用心深くお湯を出す。

シャワーから流れ出る水が熱すぎず、ぬるすぎない温度になったことを確かめてから体にかける。


他の誰かと同じことをしたことはないから、誰としてもああなるのかはわからない。でも、きっと、たぶん、気持ちが良かったのは相手が仙台さんだからで、そんなことはずっと知らずにいた方が良かったと思う。


五千円で仙台さんの時間を買うようになったとき、セックスはしないと約束をした。今日したことをセックスと呼んでいいのかわからないけれど、過去にした約束とは違うところに来てしまったと思う。


大体、自分があんな風になるとわかっていたら許さなかった。

いつか許すようなことがあるかもしれないとは思っていたが、それは今日じゃなかったはずだ。それなのに仙台さんが、今日許さなかったらもう絶対にこういうことはしないなんてピアスに誓ったりするから、気持ちが揺らいだ。


「……明日、どうしよう」


お湯を止める。

私が彼女にされたことにどう反応したか。

全部、仙台さんは知っている。

触っていた本人が知らないわけがない。


きっかけを作ってしまったのは私だけれど、自分があんな風に反応するなんて仙台さんに知られたくなかった。できれば彼女の記憶を消してしまいたいが、そんな魔法のような力は持っていない。

一緒に住んでいる以上、顔を合わせないように時間をずらして生活したって、一生顔を合わせないわけにはいかないし、彼女に一生会いたくないわけではない。


「……最低だ」


さっき聞いた仙台さんが私を繰り返し呼ぶ声は、ルームメイトを呼ぶ声とは言えない声だった。耳を撫でる声は心地が良すぎて、あれ以上聞きたくなくて彼女を止めたのに、あの声をもう一度聞きたいと思う。でも、もう一度彼女の声を聞こうと思ったら今日と同じことをすることになる。


――無理だ。


ああいう自分をまた仙台さんに見せることになるなんて考えられない。

私が仙台さんに触れたら彼女がどんな声をだすのか知りたいとも思うけれど、大人しく彼女が触らせてくれるとは思えない。


頭の中に浮かぶことはまともではないことで、自分がおかしくなっていることがわかる。このままでは、明日どんな顔をして彼女に会えばいいのかわからない。明日なんてこなければいいと思う。


「仙台さんのばーか、ばーか、ばーかっ」


ルームメイトだって言ったじゃん。


卒業式があった日、仙台さんは確かにそう言った。だから、ここにきてからずっと仙台さんはルームメイトで、最低でもこれから四年間はルームメイトのはずだったけれど、今日したことはルームメイトがするようなことじゃない。


今日の出来事が私たちの関係をどう変えるのか想像できない。


高校生だった頃にはなかったルームメイトという言葉は、四年間一緒に暮らすためのチケットのようなものだ。その言葉がなくなってしまったら、四年が過ぎる前にこの生活がなくなってしまいそうだと思う。


仙台さんがいなくてもいいけれど、いなければ気になる。

知ることができないことすべてを知りたくなる。


側にいたって気になるのに、いなくなったりしたらどうしていいかわからない。だから、卒業式という区切りがあって、そこで終わりになるはずだった関係を今も続けている。でも、そんなことを考えている自分を持て余している。


私は体を洗い、パジャマ代わりのスウェットを着て脱衣所を出る。

共用スペースに仙台さんはいない。

麦茶をグラスに注いで、部屋へ持って行く。

半分飲んでから、本棚の黒猫を枕元へ移動させてベッドに寝転がる。

仙台さんが壁の向こうにいる。

今、彼女がなにを考えているのか気になる。


私の知らない仙台さんと私の知らない私。


今日、お互いに知らなかったことを知った。

今まで知ることができなかった仙台さんを知ることができたことが良かったことなのかわからない。この先、後悔するかもしれないし、しないかもしれない。どうなるのか今は想像することができない。


ただ、私ばかりが恥ずかしい思いをさせられたことは納得がいかない。こういう目に遭うのは私ばかりのような気がする。

私は、黒猫のおでこに唇をくっつける。


嫌だ。

こんなに仙台さんのことばかり考えたくない。


大学のことでもいいし、舞香のことでもいい。とにかくなにか違うことを考えたいのに、すぐ近くにあった熱がないことに物足りなさを感じている。


こんなの、私じゃない。


まだ眠るつもりはないけれど、ぎゅっと目を閉じる。

頭の中に仙台さんが当然のように浮かんで、私は小さく息を吐いた。


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Original