Chapter 373
共用スペースは静寂に包まれている。
それは宮城が口を開かないからだ。
彼女はプリンを見つめたまま喋らないし、私を見ない。
常識の範囲内での言葉であればなにを言われても従うつもりではいるけれど、沈黙が長いとなにを言われるのか不安になる。命令の対価である“酔っ払いの相手”は、そこまで重い罪ではないはずだ。
「私はなにをすればいいの?」
宮城に問いかけて、彼女を見る。
「今から言う」
低い声が聞こえて、でも、続く言葉はない。私が「宮城」と呼ぶと、「仙台さん」と小さな声が聞こえてくる。
宮城が息を吸って吐いて、私をじっと見る。
彼女は口を開きかけ、視線を落とす。
いうこと一つきく。
私にとってそれは過去に何度もしてきたことだし、躊躇うようなことではない。宮城だって同じだ。過去には命令という強い形で私を従わせていたし、大学生になってからも当然のように私にさせたいことを口にしてきた。
だから、これだけ迷う彼女がなにを言うのか気になる。
「宮城、私はなにをすればいいの?」
もう一度、私のほうから尋ねると、宮城がやっと口を開いた。
「……澪さんがやろうとしてる誕生日会、どうにかして」
なるほど。
そういうことか。
言いにくかったのもわかる。
「どうにかしたいけど、たぶん、無理だと思う」
友だちの誕生日を祝う。
それは当たり前のことで、おかしなことではない。
そして、澪はそういうイベントが大好きだ。私の誕生日を祝いたいと言って、夏休み中に何度も連絡が来ていた。
なんだかんだと理由をつけて断っていたけれど、今回は宇都宮を巻き込んで宮城の誕生日と一緒にまとめて祝いたいと言われている。
「無理なのはわかってるけど……」
宮城が乾いたパンのようなぼそぼそとした声で言い、プリンを穴が空きそうなほど見つめる。
誕生日会は私も歓迎しているわけではない。
けれど、澪には悪気がないどころか、百パーセント善意しかない。みんなで楽しく遊びたい。ただそれだけの気持ちで誘ってくれている。
宮城の親友でどこまでもいい人の宇都宮も誕生日会を楽しみにしているから、大学生になって人付き合いがいいとは言えなくなった私でも、それを断ってなかったことにするのは人でなしのやることだとしか思えなくなっている。
「んー、宮城の気持ちもわかるんだけど、澪も宇都宮も楽しみにしてるっぽいし」
どうにかする。
そんな簡単な一言が言えない私を、宮城が見る。
「……誕生日は一回でいい」
「え?」
「なんでもない」
宮城の声が私の声を打ち消し、共用スペースがまた静寂に包まれる。
私は言葉のない世界で三秒前を思い返す。
誕生日は一回でいい。
思わず聞き返した言葉は、私以外との誕生日はいらないと思えるもので心臓がどくんと跳ねる。
こんなことを言う宮城が可愛い。
こんなことを言ってくれる宮城が可愛い。
可愛くて、可愛くて、すごく嬉しい。
私も誕生日は一回でいいと思っている。
でも、澪や宇都宮のことを考えると心が痛い。
宮城以外がいらない私にも痛む心があったのかと驚くくらい彼女たちとの約束をないがしろにできない。
「……舞香にも澪さんにも悪いと思うけど」
宮城が小さな声で言う。
「誕生日会だと思うんじゃなくて、普通に集まって遊ぶだけって思ったら?」
「別になんとなく言っただけだから。……今のはきいてほしいことじゃない」
私たちはわかっている。
世の中には断れない約束があって、どうにもできないことがあるということを理解している。それでも、それをどうにかしたい気持ちを抱えてしまうことがあることもわかっている。
「宮城」
小さく呼んで、立ち上がる。
椅子に座っている宮城の前へ行く。
目が合って、彼女の手に触れる。
私はそのまま彼女の手の甲に唇をそっとつけた。
「勝手なことしないでよ」
平坦な声が聞こえ、彼女の指先にキスをすると私から手が逃げて行く。
その手を追いかけるなんて無駄だ。
私は床に膝をつき、宮城が履いている靴下を片方だけ脱がす。
デニムパンツをはいた宮城の足は、高校時代に見ていたものとは違う景色を私に見せる。
「仙台さん、靴下はかせてよ」
「もう少ししてからね」
宮城の踵に触れ、彼女の足を持ち上げる。
過去に何度もしたように足の甲に唇をつけ、プリンよりも温かで、プリンよりは硬い皮膚の感触を確かめるようにゆっくりと舌を這わせる。
足がびくりと震え、舌先から離れる。
足を引き寄せ、唇を押しつけて軽く吸う。
「仙台さん、なんなの」
低い声が降ってきて、顔を上げずに「こういうことするなら、スカートのほうがいいね」と答えにならない言葉を返す。
「今は足なんて舐めなくていい」
「今じゃなかったらいいってこと?」
親指をなぞり、足の裏を緩く撫でる。
宮城が「今じゃなくてもやだ」と小さく言って、足を引こうとする。
足の甲にキスをして、彼女を見上げる。
「もう、こういう命令しないの?」
「そういう関係じゃないし」
「しなよ、志緒理」
「志緒理って呼んでいいって言ってない」
「志緒理」
はっきりと呼ぶと、宮城が私の肩を軽く蹴って単調な声で言った。
「今は葉月なんて呼ばないから」
声は優しくない。
でも、宮城は逃げずにここにいてくれるから、名前を呼ばれることを嫌がってはいないと思う。
私は命令がないまま、足先に口づけ、指の関節に歯を立てる。
力の入った足の甲を強く吸って、足首に舌を這わせる。デニムの上から膝にキスをして、裾から手を差し入れる
「仙台さん、やめて」
私の額を押そうとする手を捕まえて、手のひらにキスをする。
「やだ」
宮城の声が耳に響く。
私たちが制服を着ていた頃も、断れない約束があった。
人付き合いが良さそうに見せていた私は、羽美奈たちに誘われるまま行動をともにしていた。宮城は私よりも友だちを優先していた。
そして、それ以上に断れない約束に縛られた二人で会う時間は、会っていない時間より遙かに短かった。
でも、今は違う。
でも、今もお互いが足りない。
「宮城」
手をぎゅっと握って、指先に唇をつける。
友だちでもルームメイトでもなく、命令がない私たちはもっと近づくべきだと思う。
「……次の約束、する?」
小さく問いかける。
言葉が足りないのはわかっている。
でも、意味を察したらしい宮城が私を睨む。
「なんでそういう話になるの」
この家で何度かして、長くしていないこと。
しないと高校時代は約束していたこと。
そういうことを宮城のベッドでも、私のベッドでもいいからしたい。
ああいうときの宮城は彼女のほうから近づいてくれる。
だから、大事なものの中で大事なものを抱きしめることができる。
一度でいい誕生日が二度になってもいいように。
回数なんて関係なくなるくらい強く抱きしめたい。
「誕生日よりももっと宮城を大事にしたいから」
彼女の手に口づけると、「そういう言い方はずるい」と膝を蹴られた。