Chapter 400
結局、どこにいても落ち着かない。
一人で駅までの道を歩いていても。
一人で電車に乗っていても。
一人で大学へ向かう道を歩いていても。
頭の中に仙台さんがいて、言わなくてもいいことを言おうとするから、一人になっても落ち着かない。だから、私は安っぽい紙に包まれたハンバーガーを睨むことになっている。
ようするに、私は、初めて大学をサボった。
ふらふらのろのろと私の足は勝手に大学から遠ざかり、街を徘徊し、疲れたところでファストフード店に入り、今に至っている。
サイダーでも麦茶でもない黒い液体を飲む。
泡が口の中でシュワシュワと弾けながら、胃に落ちていく。
飲みたくて頼んだわけではないコーラはそれほど美味しくない。
お昼にはまだ少し早いけれど、カシャカシャと紙を剥いでハンバーガーに齧り付く。
いつもはそれなりに美味しく感じるのに、今日は美味しくない。
パンの間に挟まっているハンバーグによく似たパティが、パサパサしているし、味が濃い。仙台さんが作るハンバーグとはまったく違う。
もう一口食べる。
パティとハンバーグは違うものだとわかっていても、仙台さんが作ったハンバーグと比べてしまって落ち着かない。
「むかつく」
理由はわかっている。
一人になりたくていつもよりも早く家を出て、一人で歩いて、一人でここまできたけれど、一人になれていないからだ。駅への道には私以外の誰かがいたし、電車にも私以外の誰かがいた。このお店だってお昼前で空いているといっても、人がいる。
でも、私が求めていたのはこういう場所だ。
私は一人になりたいのではなく、仙台さんから少し離れたかった。だから、家から離れた場所へきた。
でも、間違っていた。
仙台さんから離れたら少しは落ち着くと思っていたけれど、実際は仙台さんからどれだけ離れても、頭の中に仙台さんがいるから、落ち着くことができない。
こんなことはわかりきっていたことなのに、私は大学をサボって美味しくないハンバーガーを齧っている。
どうしよう。
どうしたら。
どうなれば。
わからない。
仙台さんとのことが整理できないし、できるわけがないと思う。
私はハンバーガーを齧り、コーラを飲む。
美味しくないものを胃に詰め込み、逃げるようにファストフード店を後にする。
どこにいても補導されることがない年齢ではあるけれど、酷く悪いことをしているような気がして長居できない。今からでも大学へ行けばいいのかもしれないが、そういうわけにはいかない。
朝から調子が悪くて、仙台さんに大学休んだほうがいいって言われたから休むね。
なんてメッセージを舞香に送って、心配されている。舞香に嘘をついてしまった私には、大学へ行くという選択肢はない。
胸がちくりと痛む。
結局、私は街を歩き続けるしかない。でも、ふらふら歩いていると、誰かから「サボってはいけませんよ」なんて声をかけられそうで振り向いてしまう。
落ち着かない理由ばかりで、心がざわざわし続けている。
行き先が決まらないまま前へ、前へと進む。
進み続けていいのかわからないけれど、進む。
後ろが気になって、振り向く。
サボってはいけないと咎める人はいないし、仙台さんもいない。
私は大人で、仙台さんは大学だ。
足を止めて、空を見上げる。
青い。
けれど、この青が、昨日、仙台さんと街を歩いていたときと同じ青なのかわからない。ただ、青は仙台さんの耳についているピアスを思い出させる。
――好き。
仙台さんの声で再生されて、耳を塞ぎたくなる。
仙台さんを管理する青。
私だけのものにする青。
私は空から目を背け、前へと歩く。
仙台さんは黙って私だけのものでいてくれて、大人しく大事なものに住んでいる人でいるべきだったと思う。身勝手で我が儘だとわかっているけれど、そういう仙台さんでいてくれたら、私は今日も昨日と同じように過ごせた。
でも、それは仙台さんが意志を持った人間だということを無視した行為でもある。
どうしよう。
どうしたら。
どうなれば。
わからない。
私は朝から同じことを繰り返している。
それもこれも仙台さんのせいで、そもそも彼女は今まで黙っていたことを、どうして昨日言うつもりになったのだろう。
すごく気になるけれど、聞けるわけがない。
仙台さんの気持ちを聞けば聞くほど、彼女の“好き”から逃れられなくなる。
「……むかつく」
嘘をついたせいで舞香には会えないし、嘘をついていなかったとしても消化できない仙台さんの気持ちを抱えたまま舞香と会うわけにもいかない。けれど、あてどもなく歩き続けるのも限界がある。
疲れた。
大学をサボって、街を歩き続けて。
私の足は家へ帰るために駅へ向かいはじめている。
大丈夫。
お昼過ぎなんて時間に、仙台さんが大学から帰ってくることはない。彼女は今日はバイトがあるし、帰りが遅いはずだ。
私は駅へ行き、改札を通って電車に乗る。
ぼんやり窓の外を見続けて、いつもの駅で降り、家へ向かおうとして足が止まる。
お昼は美味しくないパティが挟まったハンバーガーを食べた。
夜は美味しいハンバーグが食べたい。
真っ直ぐ家へは帰らず、スーパーに寄る。
ハンバーグの材料がよくわからないから、適当にひき肉と玉ねぎをカゴに放り込み、デザートとしてプリンを入れる。
レジでお金を払って家へ帰る。
玄関の前。
息を吸って吐く。
鍵を静かに開けて、そっと中へ入る。
仙台さんの靴はない。
ふう、と息を吐く。
共用スペースへ行くと仙台さんの部屋が目に入って、ドアをノックしてみる。
当たり前だが、返事はない。
ほっとして、がっかりする。
冷蔵庫にひき肉とプリンを入れる。
仙台さんがいない共用スペースを見る。
――私だけの仙台さん。
そんな言葉を受け入れてくれる人間が無感情であるわけがない。
当たり前だ。
私の理不尽な感情を肯定する理由はちゃんとあって、私がそれから目を背け続け、知ろうとしなかっただけだ。振り返ればヒントがたくさんある。
「むかつく、むかつく、むかつく」
まだ知りたくなかったし、聞きたくなかった。
でも、知ってしまった。
「本当にむかつく」
仙台さんにも、私にも。
だから、今日はハンバーグを私が作る。
時間はたっぷりある。
することがないのに時間だけがあると、余計なことばかり考えてしまうから、不慣れなことをしているくらいが丁度いい。
美味しいハンバーグになるかどうかはわからないけれど、仙台さんは私が作ったハンバーグを食べなければいけない。夕飯をどこかで食べてきたとしても、ハンバーグを食べなければいけない。
でも、作るのはあとでいい。
今は少しだけ眠りたい。
昨日の夜は眠れなかった。
私は部屋に戻って、黒猫のぬいぐるみと一緒にベッドにダイブした。