Chapter 381
「自分で脱げないなら、私が脱がせてあげようか?」
仙台さんの声に、私はお腹の上にある彼女の手を掴む。
「そんなことしなくていい」
「さっきも言ったけど暗いし、なにも見えないよ」
そんなわけがないのに、そんなわけがあるように仙台さんが言う。
この部屋は電気が消されて、カーテンも閉められているけれど、真っ暗闇というわけじゃない。外の世界から遮断しきれない光が入り込み、仙台さんの顔がぼんやり見えている。
「見えるもん」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃないから」
「宮城、気のせいにしときなよ」
「気のせいにしろって、それって暗くないってことでしょ」
私は掴んでいた彼女の手を体から剥がす。
本当に仙台さんは強引だ。
けれど、それくらいの強引さがなければ、昨日勇気を出して「今ならいい」と言ったものの、意に反して空腹を主張した胃袋によって保留になった約束を守る日が今日になることはなかっただろうし、仙台さんに決める権利を渡したことは後悔していない。
昨日、やっと帰ってきた仙台さんを見て、彼女は私の側にいるべきだと思った。今日だって思っている。
「宮城、この前のこと覚えてる?」
仙台さんが話を変えるように言い、私は「この前って?」と問い返す。
「宮城が私にしたとき、部屋明るかったよね? あと私、服も脱いだと思うけど」
「……それはそれだし、これはこれだから。それに脱がなくてもできるじゃん」
「私も脱がなくてもできるんだけど」
「仙台さんは脱いで」
「さっきも言ったけど、いいよ」
闇で覆うことができない部屋の中、輪郭も表情もぼんやりと見える仙台さんが体を起こす。彼女に引っ張られ、私も体を起こすと、手をそっと掴まれた。
「宮城がボタン外して」
私の手が、仙台さんの手によって彼女の胸元に押し当てられる。
ボタンの感触が手のひらに伝わり、どくん、と私の心臓が鳴る。
一つずつ、ゆっくりと。
私はブラウスのボタンを外していく。
仙台さんの視線を感じて、顔を上げると目が合う。
この部屋はすべてを覆い隠すには闇が足りない。
文句を言いたくなるけど、黙ってやるべきことをやる。
ブラウスを脱がせ、キャミソールも脱がせて、彼女の胸元を飾る四つ葉のクローバーにそっと触れる。
「緊張する」
仙台さんが呟くように言って、私はそれを否定する。
「絶対してない」
「してる。こういうことするの、久しぶりだし」
「久しぶりじゃなかったら困る」
「私は困らないけどね」
小さな声とともに抱きしめられ、体がくっつく。
背中に腕を回して手をくっつけると、温かくて気持ちがいい。すべすべとした肌にゆっくりと手を這わせて首筋に顔を埋める。
「気持ちいい?」
尋ねられて、「気持ちいい」と返す。
仙台さんはなにもかもが気持ちいい。
手のひらから伝わってくる体温が気持ちいいし、同じシャンプーの同じ匂いも気持ちがいい。でも、まだ足りなくて、ブラのホックに触れる。
「外していいよ」
耳もとで声が聞こえて、首筋を緩く噛む。
「言われなくても外す」
仙台さんが決めていいのは“今日するかどうか”だけだ。それ以外を決める権利はない。
私は指の先にあるものを外してから、仙台さんの体を少し押す。ブラのストラップに手を伸ばし、彼女の上半身を隠すものを取り去って、その膨らみに触れる。
前に触ったときと変わらず、柔らかい。
指先で輪郭を辿ると、仙台さんの体がびくりと震えた。
「宮城の手、気持ちいい」
こういうときの仙台さんは、恥ずかしいという感情が欠如している。
過去にもどれくらい気持ちがいいかと聞いた私に「自分でするより」なんて普通なら言わないようなことを口にして私を驚かせたし、気持ちがいいところを教えてくれたこともあった。
耳、鎖骨、胸。
ほかにもたくさん。
私は仙台さんの肌に手を滑らせて、肋骨をなぞり、胸元に吸い付く。
「宮城は、私ともっとくっつきたくない?」
私の髪を梳き、仙台さんが普段は出さないような誘うような声で囁く。そして、断りもなく私のカットソーの中に手を入れ、背中にぺたりとくっつけた。
「私はもっと宮城に近づきたい」
これ以上は近づけない。
私たちはご飯を食べているときよりも、隣に座って映画を観ているときよりも近くにいる。ほかの誰だって、こんなに近づけないというほどに近い。
だから、仙台さんの言うことはおかしい。
でも、仙台さんを覆う服がなくなっても、まだ私と彼女を隔てるものがあることも知っている。私の意思でしか排除することができない“それ”がなくなれば、私はもっと仙台さんに近づける。
「宮城」
仙台さんの手が私の背骨をゆっくりと辿る。
緩やかに肩甲骨を撫で、脇腹を押さえる。
「もっと近くに来てよ」
昨日、ずっと私を一人にしていた仙台さんの声が私の鼓膜を震わせ、体の中に染み込み、手のひらから伝わる体温が体の奥で小さくなっている私を捕まえる。
「そういう言い方、ずるい」
昨日、一人だった分、もっと仙台さんの近くにいきたいと思う。
私と仙台さんを隔てるものを取り去って、共用スペースの硬い床よりも柔らかくて温かい仙台さんに触れたい。
「脱がせるよ」
仙台さんが頬を撫でる小さな声とともに、カットソーの裾を掴む。
私は反射的に彼女の手を押さえる。
「仙台さんのエロ魔人。いいって言ってないのに」
「いいって言ってないけど、駄目とも言ってないよね?」
心地のいい声が耳に響き、仙台さんの手をカットソーからバリバリと剥がす。
「……後ろ向いて、絶対にこっち見ないで。あと、仙台さん。スカート脱いで」
「いいけど、宮城もこれ脱いで」
脚を覆うデニムパンツをつつかれて「どうするかは私が決める」と答えると、仙台さんが後ろを向いた。
私はカットソーを脱いで、デニムパンツに視線をやる。
今までだって脱がなかったし、脱がなくても問題がなかったのだから、今日も脱ぐ必要はないけれど、仙台さんの体は温かかった。私と仙台さんを隔てるものが少なければ、もっと彼女の体温を感じることができる。
「宮城、もういい?」
仙台さんの声が聞こえて、「まだ」と返す。
息を吸って、吐く。
デニムパンツのボタンに手をかけて、外す。
ファスナーを下ろして、躊躇う。
ぎゅっと手を握りしめてから、デニムパンツを脱ぐ。
「宮城。そっち向くよ」
ベッドの上、タオルケットを引っ張って横になる。仙台さんに背を向けて中に潜り込むと、また「宮城」と呼ばれた。
「勝手にすれば」
低い声が出て、唇を噛む。
タオルケットを握りしめると、こっちを向いたらしい仙台さんにぽんっと体を叩かれる。
「タオルケット、どかすよ」
約束を守ろうと思うなら、やだ、という言葉に意味がないことは知っているから、言わずにおく。息を吸って吐くと、タオルケットが引っ張られ、思わず引っ張り返す。
「宮城。手、離して」
わたあめみたいな甘い声が聞こえて、手を離す。タオルケットがまた引っ張られて、私を守る鎧が消える。
「……宮城、下着は?」
ブラのストラップに手を這わせながら、仙台さんが言う。
「絶対にやだ」
背中を向けたまま答えると、「私は脱いだのに?」と言われて仙台さんに顔だけ向ける。
「脱いでないじゃん」
仙台さんの上半身を覆っていたものはすべてなくなっているが、下はスカートがなくなっただけだ。
「脱いだら脱ぐの?」
「脱がない」
「宮城のけち」
仙台さんが小さく言って、ベッドが軋む。
横になったらしい彼女が私を背中から抱きしめてくる。
柔らかいものが触れ、心臓が跳ねる。仙台さんの腕が私を強く捕まえ、隙間が限りなくなくなる。
腕が、胸が、腰が、脚が、仙台さんの肌がたくさんたくさん私にくっついて、まだ私を覆うものがあるけれど、今までで一番仙台さんが近くなる。
下着も脱いでしまえば――。
私を覆うものがすべてがなくなれば、もっと仙台さんが近くなる。
わかっているけれど、勇気は出ない。
頼りないものだったとしても私を守るものが全部なくなってしまったら、あまりにも心細い。
仙台さんの手に自分の手を重ねる。
私の心臓が忙しなく動き、聞こえないはずの血液が流れる音が聞こえる。くっついている部分は熱すぎるぐらい熱いのに、足の先は熱いのか冷たいのかわからない。仙台さんと重なっている部分だけに意識が向かって、息が苦しくなる。
「宮城」
柔らかく呼ばれる名前がくすぐったい。
「キスしたいからこっち向いて」
「やだ」
「宮城」
声とともに、仙台さんの体がもっと私にくっつく。私の唇を仙台さんが指先でなぞり、首筋を撫でる。唇が肩に触れ、手が鎖骨の上を通る。背骨の上を舐められてくすぐったくて体をよじると、ブラのホックを外された。
文句を言おうと口を開きかけたところで、仙台さんの手がブラの中に入り込み、胸の上に手を這わせてくる。
「仙台さん、やだ」
声が聞こえているはずなのに、仙台さんの指先が胸の中心を掠める。私は逃げるように体を仙台さんに向け、彼女の目を覆う。
「見えないんだけど」
不満そうな声が聞こえてくる。
「見えないようにしてる」
「なんで?」
「私のこと見たって面白くないから」
「宮城が見るなって言うなら見ないように努力するけど、私は宮城のこと見ても面白くないなんて思わないし、見たいって思ってる」
「仙台さん、こういうときぺらぺら喋るのやめて」
「じゃあ、宮城はこういうときじゃないときに、こういう話してほしいの?」
「駄目に決まってるじゃん」
断言すると、仙台さんが目を覆う私の手に自分の手を重ねた。
「宮城。目、閉じるから手を離してよ」
「ほんとに閉じる?」
「閉じた」
「ほんと?」
「本当」
薄墨色の視界ははっきりしないけれど、仙台さんの口角が上がったことはわかる。私は微笑んだ彼女の顔が見たくて、手をどける。
ふわりとした笑顔。
交じる視線。
私は仙台さんに足をぶつける。
「見てるじゃん」
「こうしたら見えないから大丈夫」
闇に染まりきらない部屋の中、仙台さんが顔を近づけてくる。
距離がすぐに縮まり、唇が重なる。
ずっと仙台さんを見ていたけれど、私の記憶には彼女が綺麗だったということしか残っていないから目が閉じられたのかわからない。でも、目が開いていたとしてもなにも見えないに等しい。
その証拠に私の視界にはあるのは仙台さんの綺麗な顔の一部だけだ。
仙台さんが唇を離して、またくっつける。
何度も、何度も触れるだけのキスをして、舌先が入り込んでくる。
こういうキスは苦手だったはずだけれど、いつしか体温が混じり合うことに慣れて、仙台さんの舌が私の舌に触れることが気にならなくなった。それどころか、彼女を求めて勝手に私の舌が動く。
絡めようとすると、逃げられて、追いかける。
舌先が触れて、搦め捕られる。
呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに苦しい。
仙台さんの肩を押すと、一瞬唇が離れて、また触れる。
舌先が唇を割り開き、私に触れる。
酸素がほしくて仙台さんの舌を噛むと、ようやくほどよい距離まで彼女が離れて、大きく息を吸う。
「そうだ、一つ報告」
そう言って、仙台さんが見なくてもいいと言っている私を見る。
「前にしたときに好きなものができたら報告してって言ってたでしょ。あれ、できた」
「なに?」
視線が合っていることに文句があるけれど、彼女の“好きなもの”が気になって先を促す。
「葉月」
「……名前?」
「そう。宮城にネックレスもらって、葉月は宮城が特別にしてくれた宮城だけの名前になったから。――だから、自分の名前が好きになった」
私が贈ったネックレスが見える。
黒猫が守っている月のネックレスと合わせて“葉月”を作る四つ葉のクローバー。
手を伸ばして、それを撫でる。
――私だけの仙台葉月。
引き寄せて、唇を合わせる。
「志緒理」
小さく呼ばれて、「葉月って呼んで」と言われる。
「……葉月」
「この時間ずっと呼んでよ」
答えられない。
けれど、仙台さんはそれ以上なにも言わずに私の頬を撫でる。
そして、首筋に手を滑らせ、鎖骨を甘噛みする。
生温かいものが押し当てられ、緩やかに下へ向かう。肌を這う柔らかな唇に言葉にならない声が漏れる。脇腹に手が押し当てられ、腰を撫でる。柔らかな刺激が私の顎を上げさせ、出してはいけない声が漏れ出る。
「声、たくさん聞かせて」
耳もとで囁かれ、仙台さんの肩を掴む。
首筋に歯を立てられて、体が小さく跳ねる。
舌先が耳を舐め、耳たぶを齧られる。
「んっ」
唇を噛む間もなく、掠れた声が出る。
「志緒理、可愛い」
「うる、さい」
余計なことを言う口を塞ぎたいけれど、仙台さんが耳に舌を這わせてきたせいで自分の口を押さえることになる。
本当にむかつく。
腰骨を撫でる手がそろそろと上へと向かい、肋骨を辿る。胸の上に置かれているだけになっていた下着をずらし、手のひらが押し当てられ、びくりと体が震える。仙台さんの手が胸の形を確かめるようにゆっくりと動く。
彼女はなにも言わないけれど、自分のそこがどうなっているかわかる。
触ってほしくない部分に指先が触れる。
体が私の意思に従わない。
仙台さんが動くと私の体も勝手に動くし、体が形を変えて、彼女に知られたくないことをなにもかも伝えてしまう。声帯も勝手に動くから、いやだ、という言葉を発することもできない。
「大丈夫だから」
優しく言われて、息を吐く。
でも、硬さを増した胸の中心をゆるゆると撫でられて、息を吸う。
こんな風に裸に近い格好で仙台さんに触れられていると、この行為が特別なものに思えてしまう。
「志緒理」
理性を溶かすように名前を呼ばれて、仙台さんの肩に歯を立てる。
今している行為は、私たちにとってなくてもいいものだ。
それでもこんなことをしているのは、約束を守るためでしかなく、深い意味はない。
仙台さんに近くにいてほしいと思っているけれど、それは昨日、仙台さんがなかなか帰ってこなかったからで、彼女が悪い。仙台さんはここにいるべき人なのだから、こういうことは特別なことじゃない。
私は理性の尻尾を掴んで引き寄せ、自分に言い聞かせる。
「志緒理、可愛い」
さっき拒否した言葉が聞こえてくる。
仙台さんは嘘つきだ。
私を見ない努力をすると言ったのに私を見ているし、私は可愛くない。
「みない、で」
仙台さんの肩を押す。
「大丈夫。そんなによく見えてないから」
「すこ、しでもみえるの、やだ」
胸の上でゆるゆると動き続ける手を掴まえて、仙台さんを引き寄せるけれど、思ったようにいかない。彼女の顔が胸元に近づき、息が吹きかかる。唇が胸の上に落ち、見て欲しくない場所に舌先が押しつけられる。
「せんだ、い、さんっ」
「葉月」
柔らかく言い直しを要求される。
口を開かずにいると、仙台さんが脇腹に手を這わせてくる。生温かいものは胸の上で私を確かめ続け、しなくてもいいのに胸のあちこちにキスをしてくる。
「はづき、やだ」
太陽で氷が溶けるように理性が溶けて小さくなっていく。尻尾も消えて、それでも見えなくなりそうな理性を手の中に閉じ込める。
「だめなの?」
「や、だ」
「じゃあ、ここ以外に私が気持ちよかったところ、しおりにおしえてあげる」
「まえに、きいた」
「またおしえてあげる」
囁く声が耳に溶け、理性がまた溶ける。
仙台さんの手が滑り、腰骨をひっかく。
「ここ、気持ちよかった」
甘ったるい声が聞こえて、呼吸が乱れる。
唇が肋骨の上にくっつき、生温かいものが骨を辿る。
「ここも」
仙台さんの声に「やだ」と返す。
何度も、何度も、返す。
けれど、仙台さんはやめない。
私の体に手を這わせ、唇を落として、気持ちがよかったと繰り返す。
その声は頭の中にある仙台さんを引っ張り出して、彼女の声や熱を私に思い返させる。仙台さんが、どんな風になっていて、どんな反応をしたのか、鮮明に思い出させ、自分に重なる部分が増える。
私の手で変わっていった仙台さんと私が同化して、気持ちがいい。体を這う手に感情が流され、呼吸が乱れ、出さなくてもいい声が口から漏れ出る。
「うる、さ、い」
掠れた声で仙台さんが繰り返す言葉を止めようとするけれど、彼女の声も手も止まらない。
「いちいち、いわなくて、いい」
「いいたい。しおりも、もっと気持ちよくなってよ」
いつの間にか仙台さんの呼吸が乱れていて、過去に聞いた彼女の声に近くなっている。
仙台さんの体に触れて手を滑らせると、「もっとして」と返ってくる。羞恥心をどこかに捨ててきた彼女の肩を噛むと、噛み返される。指先がまた胸の中心に触れ、声が震える。
「や、だってばっ」
「だいじょうぶだから」
仙台さんの視線を感じてここから逃げ出したくなるけれど、逃げてしまったら仙台さんが見えなくなる。
ずっと見ていたい。
でも、見られたくない。
仙台さんに手を伸ばし、彼女を捕まえる。
抱き寄せて、体温がもっと混じり合う距離まで近づく。
仙台さんの手が脇腹を撫でて、下へと向かう。
そして、断りもなく下着の中に入り込んだ。
「しおり」
呼ばれて、息が止まる。彼女の手の先がどうなっているかわかるから、反射的に「やだ」と返す。
下着は仙台さんに乱された感情が溶け出して、私に張り付いている。綺麗な仙台さんを汚したくないし、そこに彼女が触れたら自分がどうなるかわからない。
「しおり。もっと近くにいきたい」
甘すぎたフレンチトーストより甘い声が頭に響く。
「じゃ、みないで」
「だったら、みえないようにつかまえてて」
私は仙台さんの背中に腕を回す。
柔らかな皮膚に爪が引っかかり、肉に食い込む。
力が入りすぎて腕を緩めると、「きもちいいから、もっとして」と仙台さんが言った。
「へん、た、い」
首筋に歯を立てると「いまさらでしょ」と返ってきて、仙台さんを抱きしめる。下着の中に入り込んでいた手が動き出し、足の間に滑り込む。
「しおり」
私だけが聞くことができる声が耳をくすぐる。
彼女の指先が隠しておきたい部分に触れる。
私から溢れ出した感情の一端が彼女を汚す。
軽く押し当てられ、聞きたくないくらい色の付いた声が漏れる。
指先がゆるゆると動き、私が溶け出していく。
はづき。
勝手に喉が動いて仙台さんを呼び、体が跳ねる。
はづき、はづき。
呼ぶつもりはなかったのに何度も呼ぶ。
しおり。
繰り返し呼ばれる名前に、べたべたしてどろどろしたものが溢れて、仙台さんに絡みつく。
「もっと、その声きかせて」
耳もとで囁かれ、背中に爪を立てる。
「や、だ」
「しおり」
甘い声に、歯を立てる。
「もっと、しおりの近くにいたい」
仙台さんを抱きしめる腕に力を入れる。
「しおり、そばにいるから」
仙台さんはどんどん私の中に入り込んできて、私を作り変えていく。駄目だったことがいいことに、許せなかったことが許してもいいことになっていく。仙台さんがいなければなにも始まらないくらい、彼女が必要になっていく。
「しおり、どこにもいかないから」
仙台さんの手が柔らかく私を撫で上げる。
掴んでいた理性が溶けて海になる。
仙台さんが汚れて、私が溺れていく。
仙台さんの背骨を辿って、腰骨を掴む。
彼女の体はどこもすべすべしていて手触りがいい。
もっと触りたくて、触ってほしい。
「だから、しおり」
仙台さんの指先が緩やかに動き、彼女しか知らない場所を撫でさする。
強く、弱く、滑り、くっついたまま離れない。
近すぎるほど近い仙台さんを抱きしめる。
体が密着して、気持ちがいい。
「私のそばにいて」
仙台さんの手が押し当てられる。
理性のなれの果てでできた海はどんどん深くなり、呼吸ができなくなる。溢れ出た感情にさらわれ、ぶくぶくと沈み、一人になりたくなくて仙台さんを掴む。
「はづき」
掠れた声が出て、もっと沈む。
「はづき、や、だ」
苦しくて、跡が付くほど仙台さんの肩を噛む。
「なにが?」
「わかんな、いけど、やだ」
なにも考えられない。
真っ暗闇から遠い部屋でなにもかもが薄れていく。
「どうして?」
「わけ、わかんなくなる」
「わけわかんなくなりなよ」
「や、だ」
私が汚した仙台さんの指が、また私を汚す。
どろどろとした感情が海に流れ込み、私を奥底へと引っ張り込もうとする。
「はづき、やだ」
苦しくて、苦しくて、息ができない。
「もうしてほしくない?」
してほしくないけれど、してほしい。
仙台さんの体温を感じ続けたい。
頭の中がぐちゃぐちゃになって、思考の糸が絡まる。
「やじゃないけど、や、だ」
押し当てられた指先が私に癒着する。
抱きしめた体も私から離れない。
気持ちが良くてなにもかもがわからなくなって、仙台さんと混じり合って、わけることができない一つの塊になる。仙台さんが私に、私が仙台さんに、溶け込んで、分離できなくなる。
仙台さんがいなければ世界が味気なくて、意味がない。
でも、ずっと一つでいることはできない。
――こわい。
「や、だ」
仙台さんの太ももが当たって滑らかさと体温を感じる。
心臓がうるさくて息が苦しいけれど、もっと近くにいてほしい。でも、離れたときのことを考えて怖くなる。
どうしていいかわからない。
「はづき」
体の中の声を集めて、私だけの名前を呼ぶ。
絡まった思考の糸が解けない。
ぐるぐると丸くなって、心の底へ落ちていく。
ぼやけた世界から、光が溢れて、でも、暗くてなにも見えない世界に飛ばされて呼吸が止まる。
「ねえ、も、やだ。きょうのこと、なくなっちゃうから、やだ」
助けてほしくて、仙台さんの背中に爪を立てる。
緩やかに動いていた指先がスピードを増す。
溢れ出した感情が音を立て、仙台さんを濡らす。
「しおり」
私だけの声が気持ちが良くて、見つからない理性を探して仙台さんを掴み続ける。
「は、づき」
ふわり、と体が浮かんだ気がして、力が抜ける。
動かない体をぎゅっと抱きしめられる。
息が苦しくて、熱くて、仙台さんの体が気持ちいい。
私はゆっくりと目を閉じた。