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Chapter 385

約束の時間の五分前。


私が迎えに行くことも、仙台さんが迎えに行くこともなく、舞香と澪さんがやってきて、いつもは二人だけの静かな空間が一気に騒がしくなる。


「おー、誕生日っぽくなってる!」


仙台さんの部屋に澪さんの声が響き、舞香が壁を見る。


「あっ、なにこれ。志緒理と仙台さんで飾ったの?」


私と仙台さんが午前中に飾り付けた誕生日を祝う文字のフェルトと星形の風船を見つけた舞香の弾んだ声に「そう」と答えると、仙台さんが「澪の指令でね」と付け加えた。


「澪さんの?」


舞香が壁の文字から澪さんに視線を移す。


「そっ。せっかくのパーティーだしさ、部屋もそれっぽくしたいじゃん。だから、あたしが買ってきて、飾ってって葉月に渡したの。ほんとは葉月&志緒理って印刷したヤツも渡すつもりだったんだけど、志緒理ちゃんが嫌がりそうだからやめといた」


思いとどまってくれたことを心の底から感謝したくなるようなことを澪さんが言い、舞香が「来年は私がそれ作って志緒理に渡そうかな」なんて悪乗りしてくるから、即座に否定する。


「絶対に飾らないからね」

「えー。志緒理、ノリが悪い」

「悪くない。普通」

「じゃあ、ノリが普通の志緒理ちゃんにお土産」


インターホンの画面に映った瞬間からテンションが高かった澪さんが、さらに楽しそうな顔をして手に持っていた箱を渡してくる。私はそれを受け取って「ケーキ?」と聞こうとしたけれど、声を発する前に澪さんが言った。


「箱見たらわかると思うけど、中身は誕生日のケーキ。いろんな種類の買ってきたから」

「ありがと」

「どういたしまして。で、葉月。葉月にはこれあげる。中見て」


澪さんが満面の笑みを浮かべ、仙台さんに「ほらほら」と子どものように袋を渡す。


「ありがと」


仙台さんが袋を受け取り、中を見る。そして、すぐに顔を上げると、わざとらしく眉根を寄せて澪さんを見た。


「急にクリスマスになってるんだけど」


誕生日にそぐわない言葉が耳に飛び込んできて、思わず「クリスマス?」と口に出る。隣では、舞香も「クリスマス?」と私と同じ言葉を口にしていた。


「クリスマスの定番だけど、それ以外に飲んだっていいからね」


澪さんの明るい声が部屋に響く。

私は袋の中身が気になって仙台さんに尋ねる。


「なにが入ってるの?」

「シャンメリー」


子どもの頃に飲んだ記憶があるけれど、お母さんがいなくなってからは縁遠くなった炭酸飲料の名前が聞こえてきて、仙台さんが持っている袋をのぞき込む。


すると、そこにはクリスマスによく見る金色のパッケージに包まれたシャンメリーが二本入っていた。


「シャンメリーってクリスマス以外も売ってるんだ」


舞香が驚いたように言う。


「普通に売ってるよ。本当はシャンパン持ってきたかったけど、今日はアルコール駄目だって言ってたしさ、それっぽい雰囲気のもの買ってきた」

「私、炭酸苦手なんだけど」


なんでもないことのように言った仙台さんの声を、澪さんの声が追いかける。


「え? それ、初耳なんだけど」

「私も初めて聞いた」


澪さんと同じようなことを舞香が言い、仙台さんが軽く笑う。


「今、初めて言ったからね」


炭酸が苦手。


その情報を知っていたのは私だけだったらしいことがわかって、優越感にも似た感情が心に芽生える。


でも、今この場でみんなが知る情報になり、知っていたことが酷く価値のないもののように思えてぎゅっと手を握りしめる。


「葉月、そういうことはもっと早く言って。今からなんか買ってこようか?」

「大丈夫。冷蔵庫に炭酸じゃないものがあるから」


私は仙台さんを見る。


私の誕生日に綺麗な格好をしてくれた彼女は今日、ブラウスにスカートという大学に行くときのような普通の格好をしている。


これは私が望んだいつも通りの仙台さんだ。


誕生日に染まった普段とは違う部屋に、そういう仙台さんがいることは、非日常に放り込まれた私の気持ちを落ち着かせる。


仙台さんはどんな服を着ていても綺麗だけれど、とびきり綺麗な仙台さんじゃないから良くない感情を舞香や澪さんに向けずに済む。


「それより、とりあえず座って。さっき届いたピザとか食べるもの持ってくるから。あ、宮城。ケーキ、冷蔵庫に入れてくるから貸して」


そう言うと、仙台さんが私からケーキの箱を受け取って共用スペースに消え、私たちは彼女に言われたようにテーブルを囲んで座る。


「あれ、飾られないことも覚悟してたけど、使われてて良かった」


斜め前、にこにこした澪さんが嬉しそうに言う。澪さんの反対側には舞香が座っていて「こういうのっていいよね」とやっぱり楽しそうに言って、澪さんと誕生日の飾り付けについて語り始める。


私は真っ直ぐ前、仙台さんが座るために空いている空間を見る。


この部屋で彼女が私の向かい側に座ることはほとんどない。

ここでは私の隣が仙台さんの定位置だ。


座る場所が違うからといって仙台さんが別のものになるわけじゃないけれど、面白くない。


「舞香ちゃんの誕生日が来たら、みんなでお酒飲もうよ」

「やったー。じゃあ、今度はうちに来てよ」


澪さんと舞香の弾んだ声が聞こえてくる。


いつまでも誰も座っていない空間を見ているわけにはいかず、舞香を見ると「志緒理の分のお酒も用意するから、ちゃんと来てよ」と言われて反射的に「うん」と返す。そして、しまった、と思う。


なんとなく返事をしてしまったが、飲み会に参加するような流れになってしまった。舞香の誕生日を祝うのはいいが、お酒はいらない。


けれど、そんなことを言える雰囲気でもなく、舞香と澪さんの話に曖昧に相づちを打っていると、ドアの向こうから仙台さんの声が聞こえてくる。


「宮城、開けて」


呼ばれて、立ち上がる。

すぐにドアを開けると、ピザとサイドメニューを持った仙台さんが立っていて、私はサラダとチキンを受け取る。


仙台さんと一緒にテーブルに遅めの昼食を並べ、飲み物を取りに行こうとすると、舞香が「手伝う」と弾んだ声を出すから、私が「大丈夫。座ってて」と返す。


共用スペースへ仙台さんと一緒に行き、冷蔵庫からオレンジジュースを出す。仙台さんが用意したグラスに橙色の液体を注いでいると、柔らかな声が聞こえてくる。


「宮城、大丈夫?」


大丈夫じゃない。

言いたい言葉を呑み込んで、三つ目のグラスにオレンジジュースを満たしてから仙台さんを見る。


もっと跡をつければ良かった。


仙台さんの首筋に手を伸ばして触れる。

血液の流れを感じられるくらい指先を強く押しつけて、離す。


青いピアスにゆっくりと指をくっつける。


「舞香の誕生日にみんなでお酒飲もうって言われて、うんって言っちゃったけど、仙台さんは絶対に飲まないで」


我が儘だとわかっている。

でも、お酒を飲んだ仙台さんは私だけのものにしておきたい。


酔っ払った仙台さんはほかの誰かに見せるものではないし、私以外の誰かに、普段の仙台さんとは違う酔っ払った仙台さんなんてものを見せていいわけがない。


「約束する。でも、宇都宮の誕生日にみんなで集まることは決定事項なんだ?」

「わかんないけど、舞香の誕生日に集まるのやだって言うの無理だから」


舞香は私の親友だ。

その親友が誕生日に家へ来てほしいと望んでいるのに、断ることはできないと思う。


「宮城の親友だもんね」


仙台さんが平坦な声で言い、「お祝いしなきゃ」と口角を上げる。


「宮城、オレンジジュース注いじゃって。持ってくし」


明るい声で言われ、青いピアスから手を離す。


最後のグラスに橙色の液体を注いで、オレンジジュースを冷蔵庫に片付ける。振り返ると仙台さんがグラスをトレイにのせていて、彼女の手元をじっと見ていると名前を呼ばれた。


「宮城」


言葉は続かない。

仙台さんがテーブルの上のグラスに視線を落とす。


共用スペースの空気が急に減ったみたいに少し苦しくなる。グラスを満たす真夏の太陽みたいな橙色が濁って見えて、「仙台さん」と彼女を呼ぶ。


「……葉月って呼んで」


小さな声が聞こえて、私がつけた跡が残る彼女の手首を掴む。


仙台さんの名前は、仙台さんの友だちなら誰でも呼ぶ。さっき、澪さんも葉月と呼んでいた。高校時代だって仙台さんは葉月と呼ばれていた。


だから、私だけが呼ぶ名前じゃないけれど、仙台さんの名前は私だけのものだから、仙台さんにだけ聞こえるように呼ぶ。


「葉月」


仙台さんの胸元で四つ葉のクローバーが輝く。


世界は私たちだけのものではなく、私たち以外の人で溢れているけれど、私が選んだネックレスとピアスで飾られた仙台さんは私だけのものだ。


「オレンジジュース持っていこうか」


いつもと同じ声で仙台さんが言う。

私は彼女の部屋のドアを開ける。

トレイを持った仙台さんが誕生日で染まった空間に戻る。


私は息を吸って吐いてから、浮かれた文字と楽しそうな二人が待つ空間に足を踏み入れた。


Translation Sources

Original