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Chapter 392

なにかを叩く音が聞こえる。


トントン。


小さな音に耳を澄ます。

でも、すぐ意識が遠のく。

小さな音がさらに小さくなり、消えそうになってまた大きくなる。


トントン、トントン。


意識が浮かび上がりかけ、睡魔という悪魔が足を引っ張る。はっきりしかけた頭がまた眠りに落ちそうになる。


トンッ。


また音が聞こえて、それを追いかけるように私の意識を睡魔から引き剥がす声が聞こえてくる。


「仙台さん、開けて」


――宮城。


眠たいけれど、目が開く。

私を引き留めるベッドから起き上がり、ドアを開ける。


寝ぼけた声で「おはよ」と言うと、共用スペースにいる宮城から「おはよ」と返ってきた。


「今、何時?」

「七時ちょっと前」


私とは違ってはっきりとした声が聞こえてくる。


「日曜日にしては早くない? なにかあった?」


大学が休みだからと言って昼まで眠るつもりはないが、慌てて起きなければならない理由もない。


それは宮城も同じで、いつもの日曜日なら彼女もまだ寝ている。なにか理由がなければこんな時間に私を起こしにきたりはしないと思う。


「これからあるから、起きて」


少し低い声で宮城が言う。

でも、眉間に皺が寄っていたりはしないから機嫌は悪くないはずだ。


「なにがあるの?」

「今日、出かけるから」

「出かけるって、どこへ?」

「二人で出かける約束したじゃん。忘れたの?」

「え、その約束って来週の日曜日でしょ?」


月曜日の夜、二人でどこかに行く日を決めた。


それは日曜日で間違いないが、その日曜日は来週であって今日ではない。

どう考えても一週間早い。


「今日行くから、ご飯食べたら準備して」


どういうわけか宮城がやる気を見せる。いつ二人で出かけるのか尋ねた私に「三ヶ月後くらい」と返してきた人間と同じ人間とは思えない。


「急すぎるんだけど」

「早めに起こしたから時間なら余裕あるでしょ」

「確かに時間はあるけど、なんで今日行こうと思ったの?」

「予定通り来週にしたら、仙台さん私になんかしようとして準備するから。……洋服とか」


そういうことか。


予定が一週間早くなった理由は納得のできるものだったが、宮城は甘い。彼女のための準備は今からしても間に合う。


「まあ、着せ替え人形にするつもりだったから、準備するつもりだったんだけど……。宮城が早めに起こしてくれたから今からでも用意できるし、準備していい?」


最近、私が買った洋服の中はサイズが違っても着られるものがいくつか交じっている。要するに宮城に着せてみたい洋服なんてものがある。


だから、時間をかけて準備をするまでもなく、さっと取り出すことができる。


「いいわけないじゃん」


私の洋服事情を知らない宮城が冷たく言う。


「残念。じゃあ、来週にしようよ」

「来週にするなら行かない」

「そこまで言うなら今日でいいけど、どこ行くか決まったの?」

「仙台さんが決める」

「宮城が決める約束でしょ」


話が違う。

私と行きたいところを宮城が決めるという約束だ。


「仙台さんが決める。……二人で映画へ行くときに私が着る服、仙台さんに選んでほしいから、そういうお店があるところに連れてって」


能登先輩からもらった映画のギフトカードを使う日のために服を選んでほしい。


宮城の言葉が意味するものはこれ以外にない。

だが、それは私が予想もしていなかったことで言葉が出ない。


あの宮城が、出かけるための服を私に選んでほしいと言うなんて。


さっき着せ替え人形になることを拒否した宮城が、そんなことを言うなんて。


思ってもいなかった。

予想外すぎる宮城に、私は彼女を見つめることしかできない。


「どこに仙台さんがいいと思う服があるかわかんないし、お店選ぶの仙台さんのほうがいいと思う」


そう言うと、宮城が私の足をむぎゅりと踏んでから言葉を続けた。


「そういうの、仙台さん好きじゃん。……前にも服買いに行って、楽しそうに選んでたし」


低い声が聞こえて、私を踏んだ足に少し力が入る。


前にも、というのは、宇都宮の洋服を選びに行ったときのことに違いない。私はあの日のことをよく覚えている。


宮城は私に“嫉妬した”と言った。


それは私が宮城ではない人の服を選んだからで、あの日の彼女は機嫌が悪かった。それなのに、宮城は私が洋服を楽しそうに選んでいたこと覚えていて、今日それを言ってくれた。きっと宮城は。今日を楽しいものにしてくれようとしている。


「それが、宮城が私と行きたいところってことでいいんだよね?」

「ちゃんと考えたし、文句言うのなしだから」


宮城が私のことを考えてくれたのだから、文句なんて言うわけがない。


「選ぶ服って、どんな服でもいいの?」


宮城に着せたい服はたくさんある。

彼女と一緒に出かけることができる今日なら、全部買うことができなくても試着させることができるから行くだけで楽しい。


「駄目に決まってる。最後は私が買うかどうか決めるから。ルールがわかったら、早くご飯食べて。用意してあるし」


買う服に制限がかかってもかまわない。

むしろ、あれも駄目これも駄目と言われて決まらないほうがいいかもしれない。宮城が気に入る洋服が見つかるまで試着させて、ファッションショーを楽しめる。


「……宮城ってさ」

「なに?」

「ほんと、面白いよね」

「馬鹿にしてるの?」


今日一緒に出かけようと誘ってきた人間とは思えないほど、宮城が不機嫌な声を出す。


「違う。一緒にいると楽しいって話をしてる」


宮城の手を掴んでぎゅっと握る。

でも、眉根を寄せた宮城に手をすぐに振りほどかれる。


「そんな話はしなくていいから、早くこっち来てよ」


声とともに、私のスウェットが引っ張られる。


「着替えるからちょっと待ってて」

「着替えなくていい。ご飯冷めるし、早く食べて」


そう言うと、パジャマ代わりのスウェットがさらに引っ張られ、ぴっと伸びる。私は宮城に引っ張られるまま共用スペースへ出て、ドアを閉める。


「宮城のケチ」

「早く起きない仙台さんが悪い」


勝手に今日の予定を決めて、早起きを私に強要した宮城が無責任に言う。でも、悪い気はしない。起きたばかりとは思えないほど頭がスッキリしている。


窓の外を見る余裕がなかったからはっきりとした天気はわからないけれど、今日は絶対にいい天気だと思えるほどに気分がいい。


「朝ご飯のメニューは?」


自然に弾む声で尋ねると、「ハムと目玉焼き」と返ってくる。


「美味しそう」

「いつもと同じじゃん」


そう言うと、宮城が引っ張っていたスウェットを離した。


Translation Sources

Original